Opinion : "グローバル人材" ってなんじゃらほい (2013/6/10)
 

昨日だったか、讀賣の Web を見ていたら「グローバル人材『無理』…高校・大学生の半数超」という記事があった。

「なんじやそりゃ」と思い、記事本文を見てみたら (という具合に誘導されたのだから、これは見出しの勝利である… 閑話休題)、こういうことだった。

学習塾などが全国の大学生や高校生、保護者約 1000 人に行ったアンケート調査で、大学生の半数以上が「自分はもうグローバル人材になれない」と諦めていると回答した。

じゃあ、当該記事中でいうところの「国際的に活躍する『グローバル人材』」って、いったいどういう人のことをいうんだろう。


そういえば最近、「社内の公用語を英語にします」という会社があって、話題になったり叩かれたりしている。そりゃまあ、英語が主流になっている国はいくつもあるし、一般的に公用語と見なされているし、英語でコミュニケーションをとれるなら、その方がいいのは確か。

でも、「英語さえしゃべれればグローバル人材」ってわけでもあるまいに。

いわゆる「婚活」が結婚情報産業の隠れ蓑広告に見えて仕方ないのだけれど (だから私は「婚活よりトンカツ」なんてふざけて煙に巻いている)、この「グローバル人材」も、何か別の業界による隠れ蓑広告だったら笑うところ。それはそれとして。

語学って、コミュニケーションをとる手段でもあるし、相手の土地や文化について知るための突破口になる、一種の「顕微鏡」みたいな存在でもある。だから、語学が達者ならコミュニケーションや情報収集を有利に進めることができる「土台」にはなるけれど、それはあくまで「土台」。

たまたま最近、Charles Albert Horner 退役米空軍大将の著書「暁の出撃」(原題 : Every Man a Tiger) を読み返していたところ。いわずと知れた、1991 年の湾岸戦争に際して米中央軍 (USCENTCOM : US Central Command) 麾下の空軍コンポーネント・CENTAF の司令官を務めて航空戦の指揮を執った人物なのだけれど。

この Horner 退役大将、実は湾岸戦争のためにサウジアラビアに赴くよりもずっと前から、何回も中東諸国に赴いて、現地の人と関わりを持っていた経験があったらしい。だから、件の本の中でも「第二の故郷」とまでいっている。

そのほか、サウジアラビアにおけるコミュニケーションのありようとか、仕事の話に入る前のやりとりに関する習慣とか、地元の人に招かれて訪問した際のしきたりであるとか、そういう話に関する記述がちょいちょい出てくる。実のところ、航空戦の話と同じぐらい、そういう話が興味深い。

同大将に限った話ではなく、米軍にはサウジアラビアなどの湾岸諸国と関わりを持った経験があり、地元の風習や文化を知っている軍人がいた。一方のサウジアラビア側でも、そのアメリカの軍人などと付き合いがあり、アメリカという国の流儀や考え方を知っている人がいた。そのことが、「砂漠の盾」や「砂漠の嵐」で有形無形の効果を発揮したのではないかと思える。

サウジアラビアに米軍が駐留したということ自体にカッカして、後にテロ活動に走った人もいたけれど、それはまた別の話である。そちらの話まで始めると収拾がつかなくなるので、今回は割愛。


そういえば。海外に行ったり、海外の人や組織と関わったりした結果、海外かぶれになって、日本のもの、日本的なるものをことごとく否定する人がいるけれども、それは違うと思う。

一方で、そういう人に対する反発もあってか、何かというと「日本式がいいんだ」「今のやり方を変える必要はないんだ」「日本流は世界一ィィィ」と国士様・攘夷の志士みたいになってしまう人もいて、それはそれで違うと思う。どちらも極端に走りすぎ。

とどのつまり、「我々とは違う価値観で動いている人や国がある」「我々のやり方を最善のものだといって押しつけるだけでは動かない」「他国には他国の流儀や風習がある」といったことを弁えた上で、傲慢にならず、さりとて卑屈にもならず、渡り合って折り合いをつけようとすることができる。それが本当のグローバル人材っていえるんじゃないのかなあ ? 初めの方で書いた語学の話は、それを円滑にするためのツールという位置付けではないのかと。

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