Opinion : "日本素晴らしい論" vs "日本ダメ論" (2013/7/8)
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「谷本真由美@May_Roma の妄想」(その 1) / (その 2) / (その 3)
な、なんか清谷さん、こだわってるなあ…
自分は駐日大使館の大使公邸に足を踏み入れたぐらいで、イギリス本国に住んだり訪ねたりしたことがないので、「データ不足」。そのため、どちらか一方の肩を持つことはしないでおこうと思う。
それはともかく、この件で改めて興味深いなあと思ったのは、「何かというと、しきりに日本をけなす人」のこと。といっても、これは一種類ではない。
海外在住などの経験があり、「○○国と比較して日本はダメだ」という論調を展開する人は昔からちょいちょい存在していて、これがパターンその 1。もうひとつは、太平洋戦争とその前段をネタにして「日本はこんなに悪いことをした国です」ばかり連呼する人で、これがパターンその 2。
先に、手短に「パターンその 2」について推測してみると、「自国の正当性を主張するのは格好悪い、イケてない」「自国のことを悪くいっておくぐらいの方が好ましいし、謙虚に見える」「まずは相手を喜ばせるようなことをいっておく方が良い」なんていう部分があるのかなあ、と以前から考えていた。
それらがすべてではないだろうし、もっとトンでもない理由を持っている人がいる可能性を完全に否定することはできないけれども、憶測に憶測を重ねると問題なので、それは措いておくとして。
で、パターンその 1 の話。
昔から「隣の芝生は青く見える」なんてことをいう。よって、人によっては「日本にいると、外国のことばかりがよく見える」ということになる可能性はある。外国のことをやたらと礼賛する人や本やテレビ番組が存在していれば、なおのこと。
もっとも、当該国に行ったこともなければ、当該国の人と関わった経験もない状態で、いわば妄想的に憧ればかりが膨らんでしまうと、どうかと。そうなった場合、いったん幻想が崩されると反対方向のリアクションが発生して、一転して当該国のことをボロクソにいいそう。
それと比べると、実際にどこか外国を訪れて、そこで住み着いたり働いたり事業を興したりした人の方が、まだしも現状が見えている、とはいえる。でも、それも場合に依りけり。自国と相手国の力関係や立場の違い、相手国で本人が置かれた立場、相手国で関わった人の良し悪しなど、いろいろなファクターによって影響されるだろうから。
太平洋戦争より前の時代に日本を訪れた経験がある米海軍の士官で、東郷元帥の謦咳に接して感激した人がいるかと思えば、駅員の対応が悪かったといって「将来、この国と戦争になるんじゃないか」と思った人もいる。「戦争になる」という予測についていえば、不幸にも的中してしまったけれど。
自分はどうかというと、「親米・親ユダヤのプロパガンダを垂れ流す闇の陰謀団」呼ばわりされたぐらいで、基本的に親米的であることは否定しない。アメリカの個人や会社といろいろ関わって、全体的にはさほど悪い印象を持っていないから、というのはある。もちろん、すべてが「いい思い」ではないし、善悪というより「文化の違い」を感じた部分は多々あったにしても。
なお、もう一方の「親ユダヤ」については、直接的に関わったこともないのに、どうこういえるもんか、ということで :-p
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なんてことを考えると。
ことに、日本でなにかしら鬱屈していたり不満を抱いたりしていた人が、海外に出て成功 (本人が成功したと思っている、という意味ね) を収めた場合、そのリアクションとして「日本ダメ論」「当該国礼賛論」に走る可能性はありそう。いわば「"海外に出て行くというリスクを冒して成功した私" を支える精神的支柱」として。
そして、鬱屈や不満がなくても、外国でいい思いをしたり、なにかしら優越感や成功を感じさせるような場面に遭遇したりすれば、結果的に「贔屓」になってしまう傾向はあるだろうし。
ただ、いい思いをした場合でも嫌な思いをした場合でも、問題は「自分が接した範囲がその国のすべて」となってしまうことではないのかなあ、と。外国の人が日本を訪れたときのことを考えれば容易に理解できることだけど、日本といってもそれなりに広いし、人それぞれだし地域差も大きい。それは日本人が外国を訪れた場合でも同じ。
つまりは、過去に何回も書いているように「どんな国にも、いいこともあれば悪いこともある」というだけの話。でも、それを (理解できなくて | 理解しようとしないで) 自分が経験した範囲で得た成功感・優越感を精神的支柱にしたり、自己の売り出しや栄達のために利用したりするから、スッタモンダするんじゃないのかなあ ?
そして、そういう人が出てくれば、それが気に入らないという人は必ず出る。「日本はこんなにダメな国」といわれれば「日本はこんなに素晴らしい」と反発して、振り子が両極端に振れて喧嘩になる。収拾不可能である。
まあ、マーケティング上の観点からすると「外国はこんなに素晴らしくて日本はダメ」も「日本はこんなに素晴らしい、外国に屈したり学んだりする必要なし」も、どっちもアリなんだろうけれど。
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