Opinion : 昨今のエジプト情勢に関する徒然 (2013/8/19)
 

なんだか、エジプト情勢が厄介なことになっている。自分はエジプトという国やエジプトの政治情勢について詳しいわけではないから、誰が正しいとか誰が正しくないとかいう論評はしないけれど、これだけは書いておきたい。

「今の状況を見て、3 年近く前に "アラブの春" に拍手喝采していた人達が目下の状況を見て、どう思っただろうね ?」

ことにエジプトの場合、ムバラク政権打倒のときは「民衆の味方」だった軍が、今度は (手続き上は民主的選挙を経て実現した) モルシ政権打倒の主役になってしまった。これで、前回の政権打倒に拍手喝采していた人にとっては、一種の股裂き状態になってしまったかも ?


で、いきなり結論めいたことを書いてしまうと、日本で "アラブの春" に拍手喝采していた人の中には、「民衆のパワーによる権力打倒」という構図が自分の内なる欲求を満たしてくれたので喜んだ、という人が少なからずいたんじゃないかなあ、ということ。それだからこそ、「ジャスミン革命」をパロって「紫陽花革命」なんてことをいって喜んでいた人がいたんじゃないの、と。

これってひょっとすると、自分達がいいたいことを代弁してくれる著名人をフィーチャーするのと似た心理が背景にあるんだろうか。

でも、それが事実なら、早い話が "アラブの春" に自己の願望を投影して喜んでいただけなんじゃないの、と訊いてみたい。そもそも、Twitter でハッシュタグを付けてあれこれとツイートするのが関の山の「紫陽花革命」に、いかほどのことができようか。と、それはともかく。

なんにしても、体制打倒が実現すれば万々歳、その後のことについては、誰かがなんとかしてくれる、という程度の了見では、生憎だけれど「なんとかならない」。
抑圧的な独裁体制だろうが何だろうが、体制をつぶすということは、その後を受ける受け皿が必要ということ。それを欠いた状態で、ただ体制をつぶすだけだと、最悪の場合には無政府状態になるし、そこまで行かなくても「前より良くない政権」ができる可能性もある。

「国家なんて民衆の敵でしかない」と思っている人にとっては、無政府状態は喜ばしく見えるかも知れない。でも、国家というのは国を治めるというだけのものじゃない、ということを忘れてる。国家というのは対外的な窓口でもあるから、外国と何か折衝したり、支援を仰いだり、あるいは物言いをつけたりする際にも不可欠な存在。

とりあえず、手元に日本政府発行のパスポートがある人は、そのパスポートの冒頭のページに何と書いてあるか見直してみるべき。

そもそも、サイレントマジョリティにとっては「自分が生きていけることが先決」だから、場合によっては、「メシを食わせてくれる抑圧的独裁政権 > メシを食うにも事欠いてしまう民主的政権」ということもあり得る。ついでに書けば、中国政府が現体制維持のための大義名分にしているのも、この理屈なのかもしれない。それが正しいかどうかはともかく。

実のところ、自分の生活や生命を投げ打ってまで主義・主張のために殉じてもいいというのは少数派で、だからこそ「憲法 9 条を護るためなら犠牲になってもいい」という主張は広い支持を得られない。その他の分野だって同じこと。

だから、「今の体制が良くないからつぶす」のはいいとしても、その後を受けられるような人材や組織ができて、国民をちゃんと食わせることができるのか、が最大の問題。そして過去の政権転覆事例を見ていると、政権をひっくり返した側が後になって、自分が倒した相手と同じ罠にはまったり、経済運営に失敗したりする事例は少なくない。だから、体制転覆だけで喜んでいると落とし穴にはまる。

以前にどこかで書いたような気がするけれど、優れた反政府運動の指導者が、必ずしも優れた国家指導者になるとは限らない。そこで「指導者○○がなんとかしてくれる」といって反政府運動が盛り上がり、成功を収めたとしても、その後の政権運営がうまくいかないと、利息を付けて反動が来る。今回のエジプトの動向は、この考えに照らしてどうだったんだろう ?


とどのつまり、何でもかんでも「権力者 vs 抑圧される市民」「金持ち vs 庶民」といった上下間対立の図式に当てはめた上で善悪単純に言論を持ち込んで、「そこでは常に後者が正しい」「後者に味方する奴は善、後者に刃向かう奴は悪」という考えに立脚するから話がおかしくなる。そういうことなのでは ?

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