Opinion : 責任の取り方 (2013/10/7)
 

これ、以前から温めていたテーマだったのだけれど、どういう風に話を組み立てて、どういうところに落とすかで悩んでしまっていたもの。下で書いている「責任者出てこい」だけではなくて「責任は私がとる」と大見得切った人がその後に何をしたっけか、という類の話もあるし。

以前に書いたように、ことに日本では事件・事故・不祥事の類があると「責任者出てこい」という声があがるのがお約束。でも、ここでいうところの「責任者」というのは、要するに被害担当艦。もとい、記者会見に出てきて吊し上げられて、頭を下げたり土下座したりして、いずれは辞職する人のことだといっても過言ではなさそう。

で、「責任者出てこい」といっていた人も、記者会見で吊し上げた報道機関の関係者も、吊し上げて頭を下げさせると、それでなんとなくおさまってしまう傾向がないだろうか、なんてことは以前から思っていた。


でも、頭を下げてケリがつくなら世話はない。本来の責任の取り方って「再発防止に全力を尽くす」こと。って、以前にも書いたっけ ?

ただ、事件・事故・不祥事が起きたときの当該組織のトップが、そのまま同じポジションに留まって「再発防止に全力を尽くす」となると、これは受け入れられがたいものがある。それに、事件・事故・不祥事が起きたときに首が飛ぶことも、組織のトップという「責任ある地位」について回る事柄のひとつではないか、とも思えるし。

だから、人を代えるのは仕方がない。ただ、人を代えただけで終わりにするのでは、組織として責任をとったことにはならないと思う。それでは、生贄を捧げて祈ったので問題は解決します、といっているようなもん。

再発防止策は再発防止策でちゃんとやらないと、責任をとったことにならないし、問題の解決にもならない。それには、事件・事故・不祥事があった際に、どこにどんな原因があったのかをキチンと見定める必要がある。

ところが困ったことに、それをやると「原因となった部分に関わっていた人」に累が及ぶ。「この事故の原因は○○さんの担当部分だった」となったときに、その「○○さん」に責任をとって辞めたり配置転換を受けたりしてもらうのか、それとも現職に留まって問題解決をさせるのか。

多分、正解はどちらか一方ではなくて「場合によりけり」だと思う。もちろん、意図的に瑕疵をこしらえたり、瑕疵があるのを知っているにも関わらず放置していたのであれば、それは更迭確定だろうけれど。

そういえば真珠湾攻撃の後で米海軍太平洋艦隊の司令官は更迭されたけれど、幕僚はそのまま残った (私見ながら、ことに情報参謀を留任させたのは大正解)。司令官の方はというと、更迭したら、もっと手強くて実戦向きの後任が出てきてしまったのだから、日本側からすれば藪蛇になってしまったといえるかも。

どこぞの政党みたいに、選挙の度に議席を減らしているのに、「トップが辞任すると代わりがいないので仕方なく留任、いうことなすこと従前通り」なんていう事態が続くのは、もうどうにも救いようがないと思うけれど。
そういえば戦史には、負け戦の後も指揮官留任、なんていう事例もある。


この辺の話は、事件・事故・災害などといった場面で「我が身を犠牲にして他の人を救った」という類の話があったときの対応にも通じるものがありそう。そこで「自己犠牲の美談」にして終わりにしたのでは、「責任者の首を取って終わり」なのと変わらない。本質的解決にならない。

そこで、事故や災害であれば、現場の状況を検証したり、たとえば踏切事故なら国土交通省や鉄道事業者に (余計な先入観なしで) 話を聞いてみたりして、どうすれば再発防止につながるのかを考えてみる。そこまでやってこそ報道といえるし、亡くなった方のお葬式に乗り込むような取材なんぞよりも、「知る権利」を正しく使っているといえるんじゃないかと。

「戦場美談」だって同じことで、個人の武勇や犠牲的精神に依拠してしまったのでは、軍事組織としては失格。同じ事態を繰り返さないために、問題があるならそれを解消・縮小するためにどうすればよいのか。そこまでキチンとやらないと、同じことの繰り返し。そこで上層部が「我が国の兵士は素晴らしい」と犠牲的精神を称揚してばかりなら、それはただの職務放棄だし、責任を果たしていない。

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