Opinion : 正しい目標と、正しい手段・場所・タイミング (2013/11/4)
 

山本太郎議員が、園遊会の席で天皇陛下に対して「やらかした」一件が騒動になっている。おかげで自分の Twitter の TL まで、この件に関するツイートがゾロゾロと流れてきていて、騒々しいったらありゃしない。

個人的にも、山本議員の行為については、まったくもって不同意なのだけれど、それはともかく。この件で改めて思ったのは、このこと。

たとえ、どんなに素晴らしい主張や目的であったとしても、それを実現するための「手段」「行動を起こす場所」「行動を起こすタイミング」を間違えれば台無し。

その「手段」「場所」「タイミング」を間違えないためには、情報収集や戦略策定といったところの眼力や識見が求められるのだろうけれど、たとえば自分で自分の主張に酔ってしまうと、それができなくなる (あ、一般論としてね)。
もちろん、主張や目的が根本的に間違っている場合には、それは論外ということで。


たとえば軍事作戦についていえば、「正しい目標を」「正しい方法・正しい武器で」「正しいタイミングで」叩かないと、目標を達成できない。その軍事作戦の集合体で構成する戦争も、また同様。

しかも、昔は正解だった方法や武器が、時代や状況の変化によって正解でなくなることもある。だから、あまりにも「過去の成功体験」に囚われた人が作戦担当者だったり最高指揮官だったりすると、却って「過去の成功体験」に足を引っ張られることはありそう。それを防ぐには、発想を意図的にリセットする必要があるかも。

これは、政治活動でもビジネスでも何でも同じことではないかと。たとえば自分は物書き業だから、書籍や雑誌の記事企画についていえば、「内容」と「媒体」と「タイミング」が噛み合う必要がある。もちろん、過去に成功した企画だからといって、柳の下に二匹目のドジョウがいるとは限らない。だから、常に「これでうまくいくか ?」と考えないといけない。

さらに、媒体によって通りやすい企画は違うから、相手を選んで企画を出すし、媒体によって書き方・切り口は変える。これは媒体ごとのスタンス・立ち位置の違いによるものだから、どの媒体が正しいとか間違ってるとかいう話ではない。為念。これも、手段や場所に関する工夫のひとつ。

あと、そもそも目指している目的が間違っているのは論外としても、同じ目的を実現する際の方法もいろいろ。例を挙げると、何かを批判したい、あるいは持ち上げたいという考えがあったときに、真正面から仕掛ける人がいれば、搦め手から攻める人もいる。ストレートに書く人がいれば、行間に書く人もいる。

場合によっては、正面攻撃しないで側面から・行間から攻める方が、軋轢を起こさずに目的を達成できることもあるんじゃないかと思っている。そういう工夫をするのも努力のうち。

自分が書く原稿も、みんな何某かの「意図」がある。ただ、自分はストレートに書かないで「見る人が見るとハハアと思う」というスタイルをとることが間々あるので、それに感付いた方がどれ程度いらっしゃるかは分からない。

これは国家のレベルでも同じで、いつも直球を投げてくるとは限らない。だから、政府の発表や御用報道について、表面的なところだけ見ていると、背後にある「意図」を見逃す危険がある。


努力という話が出たところで、ちょっと脱線。

ときどき「努力すれば報われる」という考え方を批判する人がいるけれども、それはどうだろう。そこでいうところの「努力」が、単に手段・場所・タイミングを弁えずに力押しの正面突破を図ることなのだとすれば、そりゃ報われる可能性は低くなる。適切な手段・場所・タイミングを判断することも、努力・工夫のうちだから。

そういう付帯条件を無視して、「努力すれば報われる」という考えが間違っている、と批判するのは、自分が努力を怠っていることのエクスキューズだといわれても仕方ない部分があるのではなかろうか。

分かりやすいところでは、「ただ連呼してたってダメ」。街頭演説でも Twitter でも何でも、連呼するだけで支持が増えるのなら世話はない。状況を見定めて「ここぞ」というところでぶつけるのと、タイミングを考えずに「量で勝負」とばかりに連呼を繰り返すのと、どちらが効果的か。

もっとも、Twitter だと特に、他者に向かって連呼というよりも、意見を同じくする者同士で毎日のように「ねー」「ねー」と言い合っているだけかも ? まあ、ソーシャル メディアって根本は馴れ合いだからねぇ。

といったところで、今回はこの辺で。

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