Opinion : いわゆる思想的片想いに関する徒然 (2014/1/20)
 

以前にもどこかで書いたような気がするが、ことにネット上で頻繁に見られる現象として、「自分が信奉している結論、あるいは思い入れがある個人・組織・製品・国などを擁護する内容の他人の発言を拝借する」というのがある。

たとえば「誰某のことが嫌い」とか「ナントカカントカに反対する」という場面で、その「誰某」や「ナントカカントカ」に対して批判的な発言をしている人を見つけると、早速それを引っ張ってきて「誰某がこういって批判している」(だから自分の心情・信念・結論は正しい) という図式。

その場合、当然ながら「誰某」は芸能人でも大学教授でもナントカ評論家でも、とにかく有名人であるほどよろしい。有名な人がいっていることだから、ということが一種の箔付けになるわけだ。

Twitter のリツイートは、それをもっとも露骨な形で示す機能だと思っている。リツイートして拡散して、それで世の中を動かした気分になるのも、なんかおめでたいんじゃないかと思うが、それはともかく。


身も蓋もないことを書いてしまえば、そこには自分なりに組み立てた考え・論理・知見といったものは存在しないことが多い。存在するのは結論だけで、それを支える材料は他所からもらってくる。そういう調子で、他人の発言を拝借して自分の心情・信念・結論の正しさを裏付けるのは、いってみれば他人のフンドシで相撲を取っているようなもの。

それだけなら「物事を論じる上での知的怠慢」で片付ければ済む話だけれども、問題は別のところにあるように思える。

それはどういうことかというと、「味方認定」して発言を引用したり拡散したりしていた相手が、自分の心情・信念・結論と合わないことをいいだしたらどうするか、という話。もともと、心情・信念・結論を支えてくれる存在として頼り切っていた分だけ、可愛さ余って憎さ百倍… いや、可愛さではないか。

実際、発言を引用しまくって、頼り切っていた相手が、何かの拍子に自身の意に反する発言をする場面に遭遇して、「寝返った」「裏切った」「変質した」「おかしくなった」などと罵っている事例、結構いろいろありそうである。

でも、誰もがそれぞれ自由意志を持って発言する場面では、一から十までモノの見方・感じ方・考え方がシンクロするとは限らないし、むしろそうなる方が希。ある分野で考え方が合致することがあっても、別の分野では合致しないのは当然の話。たまたま、特定の場面や事象に関して、自身の意を代弁してくれるような発言をする人がいたからといって、それがあらゆる場面に適用できるわけではない。

そんな当たり前のことも分からないで、後になって「寝返った」「裏切った」「変質した」「おかしくなった」などと罵るのは、もはや滑稽な光景としかいいようがない。

そこが「片想い」と表現した所以なのだが、実はそんな生易しい話ではなくて、一方的な思い込みと期待感に立脚して動いてしまうあたりは、いわゆるストーカーの心理に近いモノがあるのかも知れない。なんだかな。

こういう状態に陥ってしまう人は往々にして、何でも「敵」と「味方」に二分することしかできなくて、その中間がないんじゃないかと思えることがある。そんな考え方では外交や安全保障は成り立たない。


常にモノの見方・感じ方・考え方が一致するわけではない… という話になると、たとえば自分の身近にいる人同士でも同じこと。

リアルで面識のある方、SNS 経由の友人の皆様など、いろいろな形で「身近な人」がいるけれど、それらが皆、あらゆる場面で自分と同じモノの考え方をしているわけではない。考え方が合わない場面は当然ながら出てくるけれど、そこでいちいち「間違いを正しに行く」なんてことはしない。

それって当たり前のことだと思うけれど、その当たり前を当たり前と思わないで「友人たるモノ、常に自分と同じ考えでなければ納得できない」なんて思っている人がもしもいたら、それは認識を改めた方がいいんじゃ… と思う次第。実のところ、そんな困ったちゃんが実在するとは思いたくないけれど。

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