Opinion : 大学で軍事学を教えるべきだ、とな ? (2014/2/17)
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なぜか最近、「大学で軍事学を教えるべきだ」との主張が再燃している様子。って、自分が見ている領域で、たまたまそういう話が出てきただけかもしれないけれど。
ただ、これを正直にいえば「なんだそれ」というレベルの話。そもそも、その「教えるべき軍事学」とは何なのか、という定義から始める必要があるはずなのに、そういう話はあまり出てきていないように見受けられる。
すでにあちこちで書いたような気がするけれど、軍事というのは世の中のあらゆる学問が関わる。化学も法学も経済学も政治学も地理も電子工学も心理学も医学も… と挙げ始めるとキリがないので止めた止めた。
もちろん、軍事や安全保障といった問題に関して「何も知りません」では困るけれども、じゃあ、大学で「軍艦の種類」とか「戦車と自走砲と歩兵戦闘車の区別」を教えて、それで何か役に立つことがあるのかというと、それはそれで疑問が残る。
軍事に関わることで、最高学府で体系立てて教える必要があることが何かあるとすれば、もっと別のことじゃないだろうか。
そもそも「軍事は常識の学問」なので、常識的なモノの考え方ができないと話にならない。軍事に関する知識以前に、軍事に関わるさまざまな学問領域についてキチンと学んで、常識的なモノの見方・考え方ができること。これ大前提。もちろん、ときには常識外れ・想定の範囲外のことが起きるにしても、まず常識というベースラインがないと、何が常識外れなのかも決められない。
で。日本史でも世界史でも、あるいは産業史でも、科学技術領域の話でも、はたまた医学の話でも、それぞれの学問分野において軍事や戦争とどういった関わりがあるのか、あるいはあったのか、それを知ることは意味があると思う。戦争によって発達した技術、戦争の惨禍を避けようとして考え出された規制や条約など、さまざまな関わり方があるわけだから。
あと、政治や社会に関する学習の一環であれば「軍隊の定義」「文民統制の本来の意味」た「領土・領海・領空と、その周辺で出てくるさまざまな用語・概念・定義」といった話が関わってくる。領海や領空とその周辺の用語なんか、ちゃんと分かっていない人が多いから、尖閣がらみで不必要に吹き上がる人が出る。
組織論という話になれば、「軍隊の組織」「なぜ階級があるのか、士官と下士官兵は何が違うのか」なんていう話が関わってくる。あと、国家の定義とか国家の成り立ちとかいうところでは、「軍隊と、国民あるいは国家の関係」という話が関わる。法律の話になれば、国内の法制度も、国際法の話も絡んでくる。
ぶっちゃけ、武器とか装備の話なんていうのは後回しにしていいし、いわんや戦術関連の話なんて不要。もっとも、「戦略核兵器が国際政治・国際関係にもたらした影響」なんていう具合に、武器の話が重要な位置を占めるケースもあるけれど、だからといって武器の話を最優先すべきかというと、それもどうかと。
要は、「軍事」に関する表層的な話よりも、「軍事」と向き合う上で必要な基礎知識を知ること。そして、さまざまな学問分野において軍事との関わりをタブー視しないで向き合うこと。それが重要なんじゃないかと思った次第。
それに、軍事の側からアプローチすると、視野が狭くなると思う。むしろ、法律でも制度でも組織でもテクノロジーでもエンジニアリングでも、それぞれ固有のバックグラウンドや歴史があるわけだから、まずそちらをちゃんと理解すること。そして、その中で軍事という分野がどう関わるかを知る。その方が、体系的に物事を捉えられるんじゃないのかなあと。
さまざまな分野で、「自分が入れ込んでいるもの、贔屓しているものがメディアで取り上げられると喜ぶ」という傾向が見受けられる。してみると、「軍事学を大学で教えるべき」という主張も、根っこのところにある心理は同じなんじゃなかろうか。
つまり、「自分が入れ込んでいるもの、贔屓しているものがメジャー化すると嬉しい」とか、それによって自分がなんとなく優越感を感じられる (かもしれない) とかいった理由で。でも、それでは本当に役に立つ教育にならないんじゃなかろうか。
最後にバカネタをひとつ。まさか、「軽油は軽巡洋艦の燃料で、重油は重巡洋艦の燃料」と思ってる人はいないよね ?
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