Opinion : 「親日国○○」という言説に違和感 (2014/3/10)
 

以前からあるところだとトルコや台湾、最近だとウクライナあたりもネタにされているようだけれど、ネット上でときどき見かけるのが「親日国の○○」という類の言説。

だいたい、ウクライナが親日的で日本の味方をする国だというなら、どうして中国に Su-33 のプロトタイプを引き渡したり、エアクッション揚陸艇を輸出したりしているのさ (しかも最近、国内のドタバタを受けて駆け込みデリバリーをやったらしい)、というツッコミが成立して、訳の分からないことになってしまう。

そりゃまあ、全体的な傾向として親日的とか反日的とかいう話、多少はあるかもしれない。でも、根本的には個人の経験や立ち位置などに依存して違ってくる問題なのだから、ひとつの国という単位で「親日的」とか「反日的」とかいうくくり方をするのってどうなんだろう。と、違和感を感じる今日この頃。

現実問題、中国や韓国の昨今の動向は「反日的」と捉えられることが多そう。ただ、政治のレベルで「外部に敵を作っておく方が具合がいいから」とか「こうしないと支持をなくすから」とかいった理由で「反日的」行動に走っているのと、国民ひとりひとりのレベルでどうなのかという話を一緒くたにするのも、なんか違うと思うし。

それに、身も蓋もないことを書いてしまえば、国家にしろマスコミにしろ、誰に味方して誰に敵対するかなんていうのは、そのときどきの「空気」や「利害関係」でコロコロ変わるもの。永続的な「親○○」「反○○」なんて、どれだけ存在するんだろう。


逆に、日本国内における他国への反応を見てみれば、日本という国・全体で「親○○」「反○○」なんてことは簡単にいえないだろう、と容易に理解できそうなもの。

たとえばアメリカは安全保障上の重要な同盟国だけれど、いうまでもなく、日本国内には親米的な人もいれば、反米的な人もいる。前者だけ抜き出せば「日本は親米国」ということになるし、後者だけ抜き出せば「日本は反米国」ということになる。そんなもんである。(その他の国の話まで始めるとキリがないので、その先は省略)

それに、同じ国に対しても、「親近感を感じつつも批判的な見方をする場面がある」とか、「嫌いだけれども、この点は評価する」とかいうことだってあるだろうに。

では、どうして「親日国○○」とか「反日国○○」とかいう言説が後を絶たないのかなあ、ということで、ちょっと考えてみた。

ひとつ考えたのは、なんでも単純に敵・味方に色分けしないと気が済まなくて、その際の単位として「国」がちょうどいいという見方。個人レベルまで落とし込むと収拾がつかないけれども、国レベルなら… ということなのかなあと。

そーいえば、ネット上のバトルでも「色分け」の話はある。A 氏が B 氏と対立している、あるいは A 氏が B 氏に批判的という場面で、その A 氏が第三者の C 氏に対して「自らへの忠誠」を求めて、C 氏が B 氏に味方するような言動をすると「裏切り行為だ」「敵対行為だ」と噛みつく類の話。これも「単純に敵・味方に分けないと気が済まない」一例か。

もうひとつ考えたのは、「日本に味方がいないんじゃないか」という不安感とか強迫観念とかいったものに苛まれていて、それをちょっとでも軽減してくれそうな話があると飛びついてしまう、という見方。

ことに、近所で「反日的」な宣伝を国のレベルで展開しているところが複数あるから、「なんとかして対抗しなければ」「なんとかして現状から脱却したい」という思いがあって、それが「親日国」の存在に縋らせるのかなあと。

なにも自分の国なんていう大きな単位ではなくて、個人レベルでも、似たような話はありそう。逆に、願望などが実現しなくてイライラしているときにも、後押ししてくれそうな話にパッと飛びついてしまうことがある。そういうことがあるから、不安感につけ込む末世ビジネス、あるいは陰謀論ビジネスはなくならない。

実際のところ、この 2 種類の仮説のうち片方だけというよりも、両方の相乗効果で「親日国○○」という話に飛びついてしまう人がいる、というのが実情なのかもしれないと思ったけれど、真相やいかに。


「反日プロパガンダを展開する国」あるいは「反日プロパガンダ」の存在まで否定するつもりは毛頭ない。でも、それならそれで、「親日国」を求めて彷徨うぐらいなら、むしろ「どうやったら日本の味方を増やせるか」「どうやったら反日プロパガンダを打ち消せるか」ということを考える方が、よほど建設的だし効果的ではないのかなあ、と思った次第。

え、「そんなの個人レベルでどうこうできる話ではない」? それは「国」という単位で物事を考えるからそう思うので、個人レベルでなら話は別。なにも遭難した船の乗組員救助に身を挺した、なんていうグレートな美談でなくてもいいのだ。

たとえば、日本を訪れた観光客に対するちょっとした親切ぐらいなら、個人レベルでも可能でしょ ? そういう、ちょっとした話ひとつで「その国に対する印象」ってガラッと変わるものだし。実際、自分もアメリカで「ちょっとした親切」で助かった経験がある。

Contents
HOME
Works
Diary
PC Diary
Defence News
Opinion
Ski
About


| 記事一覧に戻る |