Opinion : 備えるにしても限度というものが (2014/3/17)
 

2014/3/2 に、中央道を使ってサンメドウズ清里まで滑りに行ってきた。生憎とガスが酷くて、とてもじゃないけど楽しんで滑りまくれる状況ではなかったので、身体を動かして脚前を維持する程度で帰ってきてしまったのだけれど、本題はそれではなくて。

そのサンメドウズへの行き帰りに長坂 IC から八ヶ岳高原道路を通って行ったら、その八ヶ岳高原道路も、その先のサンメドウズまでのアクセス道路も、長坂より手前の中央道も、いたるところがまだ雪だらけ。おそらく、2/14 に襲来したバレンタイン豪雪の置き土産。

もともと、中央道エリアのスキー場といえば人工降雪機が必須アイテムになっているぐらいだから、過去の実績からアベレージをとれば、そんなに降雪量が多いわけではないはず。それなら、雪対策の備えも相応のレベルになるのは仕方のないところ。

でも、今回のバレンタイン豪雪みたいなことがあると、「万一の事態に備えるべき」なんていいだす人が出てこないだろうかと思った。それは気持ちとしては分かるけれど。でもなあ… と。


もちろん、想定される「ありとあらゆる事態」に備えておいて、過去に経験したことがないほどの豪雪が襲来したときでも「そんなこともあろうかと思って」とやれれば、それは格好いい。でも、備えをするには人手も費用もかかるわけで、それに対して理解を得るのは難しい。

そういえば東海道新幹線でも、全線に除雪機械を配備しているわけではないから、降雪が滅多にない場所では人手に頼っている。普通、そういうものだと思う。なんぼなんでも、東京から新大阪まで全線にスプリンクラーや除雪機械を設置・配備するわけにはいかない。

何か悲惨な目に遭って「備えが必要」ということになっても、やがて時を経ると「喉元過ぎればなんとやら」になって、「いつ発生するか分からない事態に備えるのは無駄ではないか」といいだす人が出てきて、それで備えのレベルが下がるのは、案外とありがちな話。雪対策に限らず、水害でも火災でも地震でも、はたまた戦争でも同じじゃないかと。

よしんば物言いがつかなかったとしても、前述したように「備え」のためにはなにがしかのリソースが必要になるわけだから、自分で用意できる範囲の人手や施設や資金の範囲内でしか、「備え」を維持し続けることはできない。

手持ちのリソースで支えられる範囲を超えた「備え」は、いずれ維持できなくなって崩壊する。目標ラインを非現実的なところに設定しても、実現できなかったのでは意味が怪しくなるのだけれど、それを無視する人はどこにでもいる。

だから、まず事態の想定をするのはいいとして、それにどう備えるかという話になったときには、最初に「手持ちのリソースでどこまで対応できるか、維持できるか」という閾値を明確にしないと。では、その閾値が想定事態のレベルに満たなかったら、どうするか。

リソース不足が原因なら、すべて自力で対応するのは諦めて、置かれている環境や利害関係が同じ、あるいは近いお仲間と手を組んで相互扶助、というのが現実的な落としどころ。安全保障の世界でよくあるように。

ところが、技術的に実現不可能、なんていう話になると、いくら仲間がいても解決にならない。そうなると発想を変えて、閾値を超える事態については被害の抑制ではなく、被害拡大防止に重点を置くとかなんとか、何か発想を変えないと対応できない。

と、当たり前のことをわざわざ書いてみたのだけれど、たとえば「自主防衛」を主張する人は、そこのところの視点が抜け落ちているのか、それとも無視しているのか、どっちなんだろう。災害対策にしても、アレなことを主張する人はいそうだけれど、過去に書いたことの繰り返しになりそうなので省略。


そういえば、東北地方太平洋地震の発災から 3 年ばかり経過した。地震でもやはり、「万一の備えは必要。でも、どこまで備えればいいのか」という終わらない課題に直面する。

建物の耐震性ひとつとってみても、過去の経験に基づいて「これぐらいやれば OK」という閾値が定められている。ただし、過去の経験を超える地震が起きるようなことがあれば、その閾値は引き上げられる。

ただしなんにしても、経済的に、あるいは技術的に実現不能なところまで閾値を上げるのは非現実的。そこで「ゼロリスク」なんて言葉を振り回しても収拾がつかない。言い方はよくないけれども「やれるもんならやってみろ」と。

そういえば、うちでは個人レベルとしては異様といっていいレベルのデータ保全体制を敷いているけれど、さすがに自宅の建物が倒壊すればデータは全滅である。でも、そうなったら「そもそも自分が生きているかどうか怪しい」のだから、自宅が倒壊してもデータが残る体制を作るのは、あまり現実的ではないなあと、そう考えている。

そういう、良くいえば割り切り、悪くいえば開き直りのようなものも、ときには必要になるのかもしれない。でも、安全保障政策や災害対策に携わる人が「割り切り」や「開き直り」を公言するわけにはいかないので、これは難しいところ。

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