Opinion : 人的要素 (2014/3/31)
 

うちの本棚に、特殊作戦部隊について書かれた本がいろいろある。その中には、デルタや SAS や SEAL チームの OB が書いた経験談に類する本がけっこう多い。

その手の本で、もっとも興味深く読んで、かつ後から何回も読み返すことが多いのは、どういうわけか、実戦の話でもなければ装備の話でもなくて、選抜課程の話。理由はよく分からないけれど、ずいぶん以前からそう。

もちろん、「とてもじゃないけど、自分にはこんなマネはできない」と思いながら読んでいるのだけれど、それはそれとして。


軍事力の比較というと、予算とか頭数とか装備の数とかいったところの数字を並べるのがお約束。防衛白書でも何でも、基本はそれ。もちろん、これらの要素を無視することはできないわけで、基礎データとしてはまことに重要。

ただ、そういう数値化できる要素だけでは軍事力は計れないのが実情。同じように「戦闘機 200 機」あるいは「戦車 500 両」と書いてあっても、その戦闘機や戦車の性能も可動率も影響するし、そしてそれらを扱う「人」という要素もある。

単に装備の扱いに熟達しているかというだけではなくて、どれだけ実戦的な訓練、(時代遅れだったりピント外れだったりしない) 実情に合った訓練をしているか。そして士気の高低や指揮・統制はどうなのか。そこまで考慮に入れないと比較にならない。

ただ、先日発売の自著でも書いた話になるけれど、こういう数値化できない要素を比較するのは、まことに困難。ことに人的要素、個人の内面に踏み込む要素は、数値化して比較するなんて、どだい無理な相談になってしまう。

そこで冒頭の、特殊作戦部隊の選抜課程の話になるのだけれど。自分も含めて、常人なら音を上げてしまうような厳しいスクリーニング、あるいは訓練を突破できるということは、当然ながら、それだけ内面の部分で強さがあるはず。多分、そこのところに興味が行くので、結果として選抜課程の話を何回も読み返しているのではないか、と仮説を立ててみたけれど、ひょっとすると違うかも知れない。

自分のマインド セットの話なのに仮説を立てるというのも妙な話だけれど、自分で自分のことを全部分かっているとは限らないので、そこは御容赦いただきたく。

特殊作戦部隊でなくても、平素から規律や統制が行き渡っていて、「手抜きをせずにきちんとやる」習慣が行き届いている軍事組織と、だらけていて規律や統制が弛緩している軍事組織であれば、基本的には前者の方が精強とみなされるのが一般的。こういう話は「ミリタリー・バランス」には出てこないけれど。

ただし場合によっては、平素はだらけているように見えても戦時になると豹変する国もあるので、平時の姿だけを見て、相手を舐めてかからないように御用心。と、この手の話も自著で書いたような。


ただ、どんなに強靱な精神力を持ち合わせていても、規律や統制が行き渡っていたとしても、それで埋め合わせたりパワーアップできたりすることと、できないことがある。精神力でもって、極端な数的劣勢や鉄量の差を埋めろといっても、それは無理な相談じゃないかと。断じて行ったからといって、鬼神が避けてくれるかどうかは状況次第。

とどのつまり、「人的要素」というのは「必要条件だけれど、十分条件じゃない」という話。まずは、物的リソースも人的リソースも装備の質も、できるだけ水準を高める努力をする。でも、それだけでは足りないわけで、それらが真価を発揮できるかどうかを左右するのが人的要素、という落としどころになるのかなあと。

だから、カタログ スペックや数だけ列挙して「どっちが強い」と論じてみても首をかしげざるを得ないし、反対に、「精神的な強さ」ばかり持ち出して「どっちが強い」と論じてみても、これまた首をかしげざるを得ない。個人の強さや資質に加えて、人を育てる仕組みがどうなっているか、適切な補職をできているか、という話だって重要だろうに。

人的要素を筆頭に、数値化できない要素を比較するのはまことに難しいのだけれど、だからといってガン無視していいとは思えない。そこであえてガン無視して「どっちが強い」「どこそこが最強」「こんなに強いほげほげ」といった類の本や番組や記事を売り出すのは、害毒を垂れ流すだけだと思う。

なんか最近、そういう安っぽい商品が増えてるような気がしてならないのだけれど。

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