Opinion : 本業でついた傷は本業で取り返す (2014/4/28)
 

いまさらながら、STAP 細胞がらみの話を少し。

この分野は専門外だから、STAP 細胞そのものの話はしないけれども、それが存在している、再現できる、と主張するのであれば、当事者にできることはたったひとつしかないのではないか、とはいいたい。

それはもちろん、きちんとデータや手順を示して再現性を立証してみせること。そして、再現性について他者を納得させてみせること。それができれば、誰もが納得できる形で身の証を立てられる。

「信じています」というなら、その信念を形にしてみせること。それができれば、少なくとも再現性に関する批判は粉砕できるのだから。「再現できます」「私はできました」というだけでは説得力が足りない。他者が納得できる形で再現性を立証して見せないと。(…もっとも、記者会見に集まった報道陣は「涙の記者会見」の画が撮れれば、それで納得して引き上げてしまうかもしれないけれど)

アメリカのミズーリ州には "Show-Me State" という非公式ニックネームがあるそうだけれど、まさに「証拠を見せろ、やって見せろ」ということ。


そういえば、杉山隆男氏の名著「メディアの攻防」の中で、「紙面で損なわれた信頼は紙面で取り返すしかない」という趣旨の記述がある。これは新聞社の話だけれども、他所の業界だって同じこと。

ソフトウェアのセキュリティ水準が低いといわれたら、セキュアで堅牢なソフトウェアを作ってみせるしかない。料理がまずいといわれた料理人は、うまい料理を作って見返してやるしかない。

運輸業で事故を起こしたら、再発防止策を講じるとともに、事故を起こさない時間を積み重ねて実績を見せるしかない。何か不祥事を起こした組織があれば、これも不祥事再発防止策を講じて、不祥事が起きない時間を (以下略)

ただし、モノによってはその前の段階、つまり「事故を受けて止めたモノを再開する」というハードルをクリアしないといけない場合もあるのが難しいところ。実績を示すには安全に動かしてみせる必要があるけれど、それにはまず動かさないと話が始まらないという堂々めぐり。

この辺の話は、研究者も同じなのでは。自分の研究を通じて失った信頼は、自分の研究を通して取り返すしかない。「再現性がない」といわれたら「いえ、ちゃんと再現します」といって、データや手順を示して相手を納得させること。それ以上に効果的な信頼回復策があろうか。

といった調子で書き始めると、自分の仕事にも跳ね返ってくるのだけれど、それとて同じこと。もちろん、最初から評価が下がるような仕事をしないに越したことはないのだけれど、もしもそういうことがあれば、その後の仕事を通じて取り返していくしかない… と腹をくくらないと。


そういえば、「現代ミリタリー・インテリジェンス入門」の中で、「推測した結果に基づいて推測を重ねると、アウトプットの精度が悪化するので避けるべし」という趣旨のことを書いた。

科学関連の実験で「再現性がない」といわれるケースは、「推測に推測を重ねる」とは違うけれども。ただ、信頼できるデータを積み上げていって最終的な結論に到達する必要があるところは、ひょっとすると似ているのかも知れない。

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