Opinion : 理詰めと情詰め (2015/1/5)
 

すでにさんざん叩かれているけれども、共同通信が STAP 細胞の一件で「おいた」をやった。

【STAP 問題】厳しい目、寛容さを失う社会を象徴か  騒動の背後に

いや、そういう問題じゃありませんから。寛容さっていう言葉は、こういう場面で使うものではありませんから。

「異なる文化や風習に対して寛容でありましょう」というなら分かる。でも、立証の過程に問題があるとされたサイエンスがらみの案件を否定するのは、不寛容でも何でもなくて当たり前の話。

以前に書いた 通り、「STAP 細胞がある」と主張するなら、ちゃんと再現できることを立証すればいいのであって、それ以上でもそれ以下でもない。そこに「寛容」とかいう話が入り込む余地はない。再現できれば○、再現できなければ×。それだけの話。


といったところで、岩波書店「科学」編集部の Twitter アカウントが「おいた」をやらかした件と、なんか通じるものがないだろうか、と思った。ちなみに、問題のツイート では、こう書いている。

「専門家」が私たちの「健康」を定義するのでしょうか ? 専門家による判断ではなく、社会的合意による判断の領域があること。科学の領域と社会的判断の領域の区別を意識すること。3.11 後の『科学』論文選『科学者に委ねてはいけないこと』の底流にある問題意識です。

かりにも「科学」と題する媒体の編集部にして、この言い草はないだろう、といいたい。「科学」の編集部なら、もっとロジカルに、サイエンティフィックに物事を考えるのが当たり前ではないのかと。いっそ、媒体の名前を「科学」から「社会的合意が第一」とでも改めたらどうか。

STAP 細胞の一件における共同通信の「寛容」という言葉の使い方にしろ、「専門家よりも社会的合意で健康を定義すべき」とする岩波の言い分にしろ、ロジカルなモノの考え方、サイエンティフィックなモノの考え方を否定しているところは共通している。

多少の語弊を承知で書いてしまうならば、ロジックよりもサイエンスよりも、人間の感情に基づく部分を大事にしろといっているようなものではないのかと。それではサイエンスもエンジニアリングも成り立たない。

そういえば、昔にも似たような話があったような。「彼らがやったこと自体はよろしくないが、彼らの憂国の情を考慮すれば云々」というやつ。憂国の情があれば、勝手に兵隊を動かして人殺しをやってもいいというのだろうか。冗談じゃない。

ん。ひょっとすると「風の息づかいを感じていれば…」も、ロジカルなモノの考え方やサイエンティフィックなデータを軽視した物言いに聞こえなくもない。件の記事の書き手がそう思っていたかどうかは分からないけれど。


もちろん、人間の感情に基づく部分を完全に無視していいとは限らない。でも、「無理が通って道理が引っ込む」ならぬ「情が通って筋が引っ込む」では大問題。

ロジカルなモノの考え方、サイエンティフィックなモノの考え方を基軸にしつつ、その中で「人間の感情に対する配慮」をどこまで取り入れるか、という落としどころを探ることが重要なんじゃないか… と書くのは簡単だけれど、ことが感情に関わる問題だけに、相手が納得するかどうかという問題がある。

たとえば、食い物の安全性に関する問題だと、「○○は年間△△程度まで摂取する分には安全です」という数字が、まず出てくる。それが各種の実験やデータの検証によって立証された数字であれば、多くの人は納得する。でも、必ず納得しない人が出てきて「○○はゼロでなければ納得しない」となりがち。

そういえば、ポテチの材料になるジャガイモ、あるいは納豆の材料になる大豆など、いちいち「遺伝子組み換えでない」と但し書きをつけているケースがある。個人的には、「遺伝子組み換えだと何がどう有害なんだろう」と首をひねっているけれども、情の部分で「気持ち悪さ」を感じるというなら、それは分からないでもない。ただ、立証されたデータに対して「気持ち悪さ」で押し通すのが妥当かどうかは別の問題。

これ、食い物の世界によくある「天然信仰・手作り信仰」が底流にあるのかも知れないけれど。

感情に関わる問題だけに、いくら理詰めで、データを並べて納得させようとしても、相手は収まらないのが世の習い。「ダメなものはダメ」となってしまっている相手では、「議 "論"」で説き伏せるのは無理そうに思える。ではどうすればいいのか。すぐには答えが出てこないのだった。ふう。

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