Opinion : テロの定義 (2015/1/12)
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風刺画で有名だった (らしい) フランスの政治週刊紙「シャルリー エブド」が襲撃される事件が起きた、というニュースがあった。
事情はどうあれ、武力に訴えるのはよろしくない
風刺するにも節度が必要で、何をやってもいいとは限らない。そもそも「シャルリー エブド」のあれは風刺といえたのか ?
気に入らない相手を抹殺するということになると、言論の自由が脅かされる
言論の自由とは何をやってもいいという意味じゃない
…という類の話は、すでにあちこちで書かれているだろうし、モノによっては、自分も過去に何か書いたような気がする。ということで、いまさら繰り返すまでもないと思うので、この手の正論めいた話については措いておく。
この事件、基本的には「テロ事件」とみなされているようだが、そこで思ったのは、「テロという言葉の再定義が必要かもね」ということ。
辞書的な定義では、テロリズムとは「何らかの政治的目的を達成するために、暴力や暴力による脅威に訴える傾向、あるいはそういった行為」を指す。
私見だが、この「政治的目的の達成」には、直接的に何か政治的主張を広める (というより、押しつける) ものだけでなく、社会不安を惹起して政治的目的の達成につなげようとするものも含めて良いと思う。
それが実際には荒唐無稽、あるいは実現不可能な内容であっても、やった当事者が「この行為を通じて政治的目的を達成する、権力を奪い取る」という考えを持っているのであれば、それはテロに該当するといってよいのではないかと。具体例としては、オウム真理教の地下鉄サリン事件がある。
あと、「9.11」みたいに、犯人が直接的に何か政治的な要求をしていないケースであっても、社会不安を惹起する狙いはあっただろうから、これもテロ事件に分類してよろしい。
問題は、「反政府武力闘争」の類。シリアが典型例だし、その他の国でも似たような事案があるが、ことに独裁的・抑圧的な統治体制を敷いている国が、反政府運動、あるいは反政府活動家を「テロ」「テロリスト」呼ばわりすることがある。
「テロ」「テロリスト」といった言葉は一般的に見てイメージがよろしくないから、「テロ」「テロリスト」呼ばわりすることは、対象のイメージダウンを図り、現体制の正当性を主張する動きの一環であるといえる (本当に正当かどうかはともかく、当事者はそう思っているという意味での正当性)。
シリアの場合、反政府闘争は武装闘争になっているから、前述した辞書的定義をそのまま当てはめると、「反政府闘争という政治的目的を達成するために武力に訴えている」ということで、これはテロということになってしまう。
しかし、もともと政府が独裁的・抑圧的な統治体制を敷いているのだから、武力以外に対抗手段がないのも事実で、政権側がいうように「はい、テロです」といってしまってよいのかというと、これは疑問がある。選挙をやって見せたところで、出来レースに過ぎないのだし。
そこで、先の辞書的定義をもうちょっと狭めて、こんな定義を考えてみた。
「暴力に拠らない選択肢があるにもかかわらず、意図的に一般市民を巻き込む形で暴力を用いることで、恐怖感や社会不安を惹起、それを通じて何らかの政府や国際組織に自らの意志を強制したり、政治的目的を達成したりしようとする行為」
…長い、長いよ。
実は「一般市民」の前に「無関係の」とつける案も考えたけれど、それは削った。本来のターゲットと関係があろうがなかろうが、あえてわざわざ暴力行為の標的にした時点で大差はなくなると思ったから。
ただ、こうやって新たに何か定義を作れば、きっと、「それに当てはまらない部分があるけれども、やはりこれはテロだろ」という事案が発生して、さらに話がややこしくなりそう。そしてさらなる再定義をやって、ますます文面が長くなる。
あと、国家が軍事力でもって戦争に訴えるのはどーなんだ、という話もあって、そこまで考慮に入れると、ますます定義が長くなって収拾がつかないので、そっちの話まで入れるのは諦めた。
それでも「再定義が必要ではないかなあ」と思ったのは、「テロ」「テロリスト」といった聞こえの悪い言葉を使って、相手のイメージダウンを図ろうとする事例がときどきあるのは確かだと思ったから。
いや、ここで自分が何か書いたからといって、たとえばシリアのアサド政権に歯止めがかかるわけもないのだけれど、「書きたいことがあるから書く」がモットーの当サイトのこと、実効性がどうとかいう話は無視。それに、武力に訴えて自らの定義を世間に強制しようとしているわけではないし。
と訳の分からないオチが付いたところで、今週はこの辺で。
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