Opinion : 楽しいからやる、でいいじゃない (2015/3/2)
 

特に何が、ということではないけれど、たとえば何かのゲームを取り上げて「このゲームのおかげで、○○の分野に脚光が当たった」とか「このゲームのおかげで、○○の分野の学習に役立つ」とかいうことを声高に主張する人がいる。

いやまあ、実際、そういう効果というか、影響はあったかも知れない。でも、殊更にそのことを強調して回るのって、どうなんだろう。と思う一面があるのも事実。むやみに強調されればされるほど、却って「ちょっと待て」と思う。


学問でも何でもいいけれど、ある分野に関心を持つきっかけは人それぞれ。たとえば戦史や兵器や軍事の話ひとつとっても、自分みたいに「家に関連書籍がたくさんあったから」という人もいれば、何か違うきっかけの人もいるだろう。ときには「仕事上の必要に迫られて」とかいうこともあり得る。

きっかけが何であれ、関心を持って、資料を読み込んだり、いろいろ研究したり、人に話を聞きに行ったりするのは、結構なことだし、ノープロブレム。「仕事上の必要に迫られて」はともかく、個人が趣味としてやる分には、「それが面白いから」で充分ではないかと思う。

そこでわざわざ「教育的効果」とか何とかいう話を引き合いに出すようになると、それはひょっとして、ある種の引け目を感じていることの裏返し、なんてことはないだろうか。

誰がどう見ても公序良俗に反しているとか、あるいは明確な犯罪行為であるとかいうことなら、話は別。それはもう、周囲の人が止めて回らなければならない。

そういう意味では、たとえば「ISIL (Islamic State of Iraq and the Levant) に関心を持つ」のと「ISIL のお先棒を担ぐ」のは、近いようでいて、まるで別物。ISIL に限らず、「○○について理解する」のと「○○のシンパになる」は、完全なる別次元の話になる。

もっとも、まわりの人がよく知らないせいで「悪いことをしていないのに通報された」なんて事案もある。その昔、ISDN 公衆電話にノート PC を接続してパソ通をやっていたら、何をどう勘違いされたのか「通報された」なんて話があったそうである。

と、それはそれとして。

趣味の領域であれば、自分にとっての満足を追求するのが唯一の目的なのでは。そこでわざわざ「教育的効果」を強調されると、「教育ママを説得してるわけじゃないんだし…」と思うし、新聞社が「本紙の記事が大学入試で取り上げられました」といって宣伝するのと似た「ムズムズ感」がある。


自分がマイペースすぎるのかも知れないけれど、「自分が好きでやってることだから、それを周囲がどういう目で見ていようが関係ない」となるのが、個人的には普通のこと。(もちろん、公序良俗に反するとか、違法行為になるとかいうことなら話は別… って、しつこい ?)

まぁ、「女性がキモイと思う趣味のランキング」なんていうアホくさい記事が Web 媒体のコンテンツになる御時世だから、周囲の目が気になるという気持ちも、分からないではない。(なぜか、それと反対の「男性がキモイと思う女性の趣味ランキング」という記事はあまり見かけないような気がするんだけど、なんでだろ ?)

でも、そうなると「周囲に好意的に見られるためならば、自分が楽しくなくても、のめり込めなくてもやるわけ ?」とも思うわけで。そうやって、周囲の目線ばかりを気にして、あっちにフラフラ、こっちにフラフラしているのも、どうかと思う。

突き詰めると、「自分がやってることには自信を持とうや」というところに落ち着きそうではある。

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