Opinion : なんでも "子供の頃から教えろ" って… (2015/3/9)
 

昔から、何かというと学校教育の内容に口を出す人は多いものだけれど、最近の新ネタは「学校で日本史よりもプログラミングを教えるべき」という主張だとかなんとか。

以前に、歴史教育の話に絡めて「結局のところ、教科書の内容に口出しして "自分好みの歴史" を教え込もうとしている点では、右も左も同じ」という趣旨のことを、どこかで書いたような気がする。ベクトルが逆の方向を向いていても、方法論は同じということ。

今回の「日本史よりもプログラミング」にしても、根っこのところは同じ。要するに、「学校教育の現場を通じて子供の頃から自分達の好みの色、業界の色に染めてしまえ」といっているに過ぎないんじゃないかと。

悪いけど、そんなことやっても「日本版ジョブズ」も「日本版 BillG」も輩出できっこないと思う。


たとえばの話、子供の頃に何かの言語を使ってプログラムミングを教えたところで、その子供が大人になる頃には、子供の頃に習った言語が廃れてしまっていてもおかしくない。40 代後半の自分がいうとネタが古すぎるけれども、自分が学生の頃に卒論用のコードを書くのに使ったのは、なんと N88-BASIC である。当節、誰か使っている人がいるか ?

といっている自分自身は結局のところ、いちばんたくさん使ったのが VBA、その次が VBScript あたりではないかと思われる。名前は似てるけれど、N88-BASIC とは似ても似つかぬ代物。そんなものである。

だいたいこの業界、何年かに一度は新しい流行が生まれて、日経 BP の「IT Pro」あたりがせっせと旗を振るのがお約束みたいなもの。ついでに書くと、せっせと旗を振ったものでも、さらに何年かすると見向きもしなくなるのもお約束じゃなかろうか。

だから、特定のツールやプラットフォームに依存した知識・経験を身につけても、大人になる頃には役に立たなくなっている可能性が高い。むしろ、論理的思考であるとか、コツコツと不具合を突き止めて直していく根気であるとか、そういったものの方が重要なのでは。

何もソフトウェア開発に限らず、何か特定の業界や分野の色に染め上げようとするよりも、それ以前の基礎作りというか、土台作りの方が大事じゃないか。

そもそも、プログラムミングの何が楽しいかといえば、書いたコードがちゃんと動いたときの達成感だと思う。「コンピュータが俺のいうことを聞いたぞ !」みたいな。たぶんこれってコンピュータに限った話ではなくて、タミヤの「たのしい工作シリーズ」でも似たところがある。作ったものが思った通りに機能してくれると嬉しい、というところで。

そこで思った通りに動いてくれないと、それはそれでお勉強である。そこであれこれ試行錯誤して、原因を突き止めて、問題をつぶす。そういう過程をこなせる土台作りこそ、小さいうちから経験しておくべきことなんじゃないかと思う。そういう意味では、目に見えないソフトウェアよりも、目に見える機械の方が分かりやすくていいかも。

そういえば、第二次世界大戦中にイギリスで暗号解読者を募集するのに、クロスワードパズルを活用したという。この頃から「暗号解読には数学の才が必要」といわれていたけれど、それをストレートに追求するだけでなく、クロスワードという搦め手から攻めて人材を発掘することを思いついたのがすごい。

今でこそ、GCHQ が「暗号の基礎を学ぶアプリ」なんてものを作ってばらまいているけれども、それはそれ。そういえば、暗号解読も「理詰めで追い詰めて、意図した通りの動きをしてくれたら万歳」というところでは、ソフトウェア開発と似たところがあるように思う。


ただ、歴史でもプログラミングでも暗号でも、学校の正課の授業になって、テストで採点されて成績をつけられるようになったら、途端につまらなくならないか ? ことにプログラミングは、(仕事にした場合は別だけど)「やって楽しいからやる」というところが大事じゃないかと思える。

ちょっと考えてみればいい。自分が読みたい本を読みたいときに読むのは楽しくても、お仕着せの「課題図書」で夏休みの宿題に読書感想文を書かなければならない、となった途端に、読書や作文が苦行になってしまわなかっただろうか ?

自分みたいに、「課題図書」をハナから蹴飛ばして、どうみてもウケの悪そうな本をお題にして、ウケの悪そうな読書感想文を何回も書いた物好きだっている。(←なにせ、小学校低学年の頃から戦史書や鉄道書を読みあさっていたという人である)

でも、それは少数派だろうし、他の人に同じことを押しつけるのは無理・無茶・無謀。そこで大人しく、課題図書でもってお約束通りの読書感想文を書こうとして苦吟した経験をお持ちの方、少なくないのでは ?

ついでに嫌味を書くならば、子供のうちからネットに触れさせて、それで情報リテラシーを育むことができたのか、と考えてみる必要もあるんじゃなかろうか。

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