Opinion : ネーミング考 (2015/5/4)
 

3 月に北陸新幹線かが開業したが、そうなると最近のお約束で、並行在来線は 3 セクに移管される。その 3 セクは基本的に県境ごとに別会社になるので、今回は石川県・富山県・新潟県でそれぞれ別々になった。

で。「IR いしかわ鉄道」(これだって Investor Relations か、はたまた Infrared かといわれそうである) はまだしも、「あいの風とやま鉄道」「越後トキめき鉄道」と、東に向かうにつれてキラキラネームかというか DQN ネーム化というか、個人的にはゾッとしないネーミングになってきている。

それでなんですか、北海道新幹線と引き替えに 3 セク移管になる江差線を担当する新会社は「道南いさりび鉄道」とな。

うーん…


もちろん、地域の特徴をアピールするネーミングにしたいと考えた結果だというのは分かる。当事者が悪ふざけしたり悪意を発揮したりしたわけではなくて、むしろ一生懸命なのだというのは分かる。というか、そう信じたい。

でも、そのことと、結果として出てきた社名がどうなのかというのは別の話。会社の名前、とりわけ公益事業を担当する会社の名前というのは一種の「公器」ではないかと思うのだが、その「公器」のネーミングとしてどうなのよ… との思いは禁じ得ない。

北陸新幹線がらみだと、特に「越後〜」は考え直した方がいいんじゃないかと思いたくなる。しかもここの場合、会社名に加えて路線名が…

そういえば、以前に東武伊勢崎線改め東武スカイツリーラインのことを批判的に書いたけれども、「トレンド (笑)」に乗っかって流行りモノの名前を安易に路線名に使ってしまったことに対する違和感は、やはりこの「一種の公器」というところに端を発しているのではないか。と、今になって思い当たった。

子供の名付けもそうで、親がそれぞれ、自分なりの思いがあって、あれこれ考えるのは古今東西を問わず、大きな違いはないと思われる。ただ、そのアウトプットが結果として「?」な内容になる事案が増えてきているように思える。

こちらの場合、当の本人には決定権がなくて、しかもいったん背負った名前はよほどのことがなければ変えられないのだから、会社の名前以上に深刻だ。たまたま、本人が生まれたときに流行っていたアニメのキャラクターやその他の流行りモノの名前を一生背負って歩く羽目になったら、本人にとっては、あまり幸せな話になるまい。

幸い、自分の場合にはそういういかれたネーミングをされる時代ではなかったし、自分の両親などもまっとうな判断をしてくれたので、自分はおかしな名前を背負って歩く羽目にならずに済んだ。ホッとしている。


会社名にしても路線名にしても子供の名前にしても、当事者の「思い」が入るのは分かるし、それはいい。ただし、その「思い」や「特色」を、何のひねりもなくストレートにモロ出しで入れてしまうと、上の方で引き合いに出したような事案につながるんじゃないか、というのが個人的な仮説。

つまり、「思い」や「特色」を取り込む際に、ある種の「フィルター」というか「凝縮化」というか、そういうプロセスを通る必要があるんじゃないかということ。ただし、これは「ひねり」ではない点に注意していただきたい。ひねったら余計におかしな方向に行く。

ひねらないからといって、代わりにモロ出しにして、かつカタカナやひらがなをホイホイ使うと、「トキめき鉄道」みたいな名前になってしまう。同じ新潟の朱鷺がらみでも、「朱鷺メッセ」の方が見られるネーミングだと思うが、どうだろう。

つまり、DQN ネームとかキラキラネームとかいうよりもむしろ、思いの程をただズラッと並べてしまった、寿限無ネームというのが実態に近いのかも。

「越後」って入っていれば新潟県の会社だというのは誰でも分かるのだから、たとえばの話、そこで欲張って朱鷺まで社名にねじ込まないで、それは社章に使うという手もあったんじゃなかろうか。

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