Opinion : ときには雌伏することも必要 (2015/6/29)
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自民党の若手議員が開いた勉強会で、「マスコミを懲らしめるには広告収入がなくなるのが一番だ。民間人が経団連に働きかけてもらいたい」等の発言が出たのに加えて、作家の百田尚樹氏がマスコミ批判発言を展開、さらには「沖縄の新聞社はつぶさなあかん」なんて発言まで出てきたと報じられている。
これはアカン。
以前に「空幕長更迭」の一件があった時にも書いたことだけれど、「この発言が外に出たら、どういうりアクションがあるか」を想定できていない。本人はいわゆる安保法案の成立を後押しするつもりだったのかもしれないけれど、結果的に味方を背中から撃っている。
「内輪の勉強会だから」ということで気が緩んだのだろうか。だとしても、その手の「内輪」での発言が取りざたされて「失言騒動」に祭り上げられた事案は過去にもあっただろうし、それならそれで脇が甘い。本当に門外不出の「内輪の発言」をしたければ、勉強会ではなくて自宅の茶の間でやるべき。
ほんと、「内輪だから」という油断と「相手を喜ばせたい」というリップサービスは、後々まで尾を引く失言の元だと思う。
そういえば、百田氏は後で「冗談でいった」と釈明した、と報じられていた。火消しのつもりでの発言だとしても、却って火に油を注ぎかねないとは思わなかったんだろうか。そもそも、冗談とかジョークとかお笑い化とかいうのは、実は怒ったり正面突破したりするより難しい。果たして百田氏、そこのところがお分かりだったのかどうか。
それはそれとして。
件の発言が出てきた背景に、安保法案の審議であるとか、MCAS 普天間の移設だとかいった問題が、なかなか思い通りに進まないという苛立ち、焦りのようなものがあったのかもしれない。
でもねえ。
「誰もが諸手を挙げて賛成する」なんていうことは滅多に起こらないのが政治の世界。自分が正しいことだと、必要なことだと思っていても、それに反対する人、物言いをつける人は必ずいる。そういう中で自分が目指す方向に物事を運ぼうとすれば、常に正面突破の力押しというわけにはいかない。
時間をかけて説得したり根回ししたりするのも一案。あるいは、時間をかけて慣らすとか、相手が反対疲れするまで待つとか、はたまた周囲の状況が変わるのを待つとか、手はいろいろある。
つまり、真正面から攻めかかるだけが能ではなくて、時にはじっと雌伏して豹のようにチャンスを窺うことだって必要なんじゃないの、という話。いま、そのどちらを選ぶのが正しいのか、という判断力が求められるのは当然のこと。
守りに入るとか、チャンスを窺うとかいう話になると、威勢よく正面からガンガン攻めかかっていくのと比べると見栄えが悪い、といって忌避する人がいそう。でも、政治でも企業経営でも戦争でも、「攻め」と「守り」(「攻め」と「受け」ではない :-) の使い分けができなければ、いずれは破綻するんじゃないかと。
だから、「常に攻めていくのが我が国の軍隊、敵の方から攻めかかってくることなんてありえない」なんて教育をしているような軍隊は、実は脆弱。ときには「有利な状況を作り上げるまで、あるいは有利な状況に変わるまで、じっと待ち、馬力を蓄えておく」という判断ができなければダメだし、それも強さのうち。
だってそうでしょう。状況が良くない、条件が揃っていないのに無理矢理攻めに出るのは、エネルギー充填が足りないうちに波動砲を撃つようなものである。
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安保がらみの問題なんていうのは特に、さまざまな要因が関わってくる複雑な問題なのだから、一気呵成に決着をつけるのは難しい。むしろ、ビルディング ブロックをひとつずつ確実に据え付けて、外堀から着実に埋めていくことの方が大事。
といっている自分自身、一年前には病院のベッドの上でクサっていたけれど、そういう状況になってしまったものはどうにもならない。だから、ここ一年ほどは積極的に「攻め」や「拡大」には出ていない (つもり)。いずれ「攻め」のフェーズに戻るときに備えて、今は (相対的な意味で) 大人しくしているべき時期だと思っているし、実際、そうしている。
攻めることしか知らないのではアカン、という話で思い出したけれど。
「2 ちゃんねる」あたりで朝から晩まで個人叩きに精を出しているような人って、いざ自分が叩かれる側に回ったら、すんごい脆弱なんじゃないだろうか。
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