Opinion : しつこいけれど、事故報道のあり方に関する徒然 (2015/8/3)
 

先週、この話について書こうかと思ったものの、例の「第一報では動かない」の法則を発動して、見送った。それから一週間も経つといろいろな話が出てくるので、そろそろ何か書いてもいいかなと思った。


事故が離陸直後に起きて、しかも墜落機が火災を起こした (揮発油をどっさり積んでいるのだからそうなる)。それは悲惨なことで、あってはならないことだが、では「燃料をいっぱい積んでいたせいで火災が酷くなった」と責めるような記事を書くのはどうなのか。

なにも軽飛行機に限らず、どんな飛行機でも離陸時には燃料をたくさん積んでいるものだし、どこぞの 767 みたいに計算を間違えなければ、予定飛行時間に余裕分をプラスした量を積む。そのことを責めたら飛行機は飛び立てない。「燃料を積んでいたから火災になったのは怪しからん」というなら、グライダーしか飛ばせなくなる。

ただ、気温が高く、エンジン出力や揚力が減少する環境下で、人と燃料を積み過ぎて最大離陸重量 (MTOW) がギリギリ、あるいは超過していたのなら、それは問題である。そちらを追求するなら分かる。

つまり「燃料搭載量に余裕を持たせていた」は OK だけど「人や燃料を積み過ぎて MTOW 超過」は NG。そういう問題の切り分けがきちんとできないなら、事故原因に関する報道なんかするな、とは思った。

「調布飛行場では禁止されている、遊覧飛行を行っていた疑惑」なんてことも報じられている。これも切り分けが必要な話。「禁止行為を行った疑惑がある」のは問題だが、「遊覧飛行を行っていたから墜落した」かどうかは別の問題。冬場の富士山に風下側から接近すれば遊覧飛行が原因の事故になり得るけれど、それはまた話が違う。

そして、事故が起きると性急に事故原因を求める報道ぶりも相変わらず。そんな簡単に事故原因が分かるようなら事故調はは要らない。それに、原因追及といっても「誰が悪いのか」を追求するのと「再発を防ぐにはどうするか」を追求するのでは視点が違う。両者は往々にして両立しない。


といったところで思ったのは。

報道に携わる人間、特に新聞記者というのはそういうものなのかも知れないけれど、「世の中の悪や不正や不条理を暴き出して、犯人を見つけて吊し上げて社会的な制裁を加えることで世の中を良くするのだ」というマインド セットがあるんじゃないかなあ、ということ。(注 : 個人の推測です)

こういう考え方を敷衍すると、「三菱車炎上」のニュースが殊更に流されたり、尼崎の事故の後で「オーバーラン」のニュースが急増したりしたのも、「社会的な制裁過程」という意図があってのことなんだろか、と思えてくるけれど、真相は知らない。

犯罪や汚職やその他の意図的な不正を追及するならともかく、意図的なものではない事故が発生したときの対応としては、それはどうなんだろうかと。たとえばの話、事故の原因を常に「製品の欠陥」とか「メーカーや運用側の儲け重視・安全軽視」といった「ありがちな正義のテンプレ」に落とし込むことができるのかと。

実際、「同型機は事故率が高い (= メーカーが欠陥機を放置していたのが怪しからん)」とか「事故機は、以前に事故を起こしたときにエンジンを換装しないで使い続けられた (= 運用側の瑕疵)」とかいう報道が出てきているわけで、そうなると「事故原因追及報道 = 背後に隠された不正暴き」というロジック、あながち間違いとは思えなくなる。

でも、事故直前ならともかく、何年も前に起こした事故の際に換装しなかったエンジンが今回の事故につながったかどうかなんて、そう簡単に判断できるものではない。事故率の高低にしても、事故の内容を無視して数だけ比較したところで、大した意味は持たない。

また、個人の知識と尺度だけで物事を決めつけるのも間違いの元。アメリカで発生した列車脱線事故のときに「推進運転をしていたのが問題ではないのか」と自分のところに訊いてきたテレビ局があったけれど、「推進運転なら、上野駅に行けば毎日やってますよ」と答えたら御存知なかったようである。

念のために書いておくと、「不正や不条理を暴き出す」という志を持つのはいい。ただし、あらゆる場面にその論法が持ち込めるかというと、そうではないだろうということ。ことに事故報道の場合、不正や意図的な悪事が無くても事故は起きるのだから、違った視点も持たないとまずいんじゃなかろうか。

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