Opinion : 想定の範囲外 (2015/9/21)
 

昨日、横田 AB の一般公開イベントがあったので行ってきた。前年、退院直後で体力が落ちまくっている状況を考慮して自重したら「E-3 が機内を公開した」と聞いて地団駄を踏んだけれど、今年もやってくれたのが嬉しい。

それに天気が良かった。暑いことは暑いけれど、いい風が吹いていたし、暑さのレベルは真夏に比べればマシ。それに「こんなこともあろうかと思って」荷物はできるだけ軽量化したし、UV カットの長袖シャツで武装していったし。


ところが、ヘロヘロになって帰宅してみたら、鼻の頭が痛いのである。どうやら、ここが集中的に (?) 日焼けしたらしい。皮がボロボロになるほどではないものの、翌日になった今現在も、まだ痛い。

といって、鼻の頭の日焼けを防止しようとしたら尋常な方法では難しいわけで、これは悩ましいところ。ともあれ「想定外のところが奇襲攻撃を受ける」というひとつの教訓にはなった。炎天下の撮り鉄で鼻の頭をやられたことなんて、あったかなぁ。

で、実は本題はそちら。つまり、事故とか災害とか戦争とかいうのは往々にして、こちらが事前に想定していたような場所や様態では襲ってきてはくれない、ということ。よくよく考えれば当たり前の話である。

事前に想定できるような場所や様態なら、それなりに手を打ってある。だから被害も出ないか、あまり大きな被害にならずに済む。すると、事前に想定していなかったり、優先度が低かったりして、対策が不十分だったところがやられる。つまり、機械で「もっとも強度が足りない部分が真っ先に壊れる」ようなもの。

東北地方太平洋沖地震の後の拙宅が、まさにそんな状態だった。作り付けの書棚 (しかも耐震ラッチ付きの扉をつけてある) は見事に仕事をしてくれたけれど、ちゃんと固定していなかった書棚は書籍流を起こした。

そのうち片方は後で手を打ったけれど、もう一方は物理的な事情があって、まだ何もしていない。震度 4 ぐらいなら問題ないけれど、もっと激しい地震になったら、どーする。

地震や日焼けなら物理法則の問題だけれど、これが戦争になると心理的要因も関わってくるので、もっと予測が難しい。誰だってわざわざ苦戦したいと思わないから、敵軍の弱点を探し出して、そこを突こうとするのが普通だろうし。

となると、物理的な理由に加えて「人手が足りない」とか「おカネが足りない」とか「政治的制約で」とかいう事情で防備が不十分だったところが、真っ先に突かれると考える方がいいんじゃなかろうか。

しかも、ときには「常識的判断」を意図的に外して、奇策に出てくるかも知れない。となると、敵軍の過去の実績や、敵軍の指揮官の性格・好み・マインド セットといったものを平時から把握しておく必要もある。太平洋戦争の日本軍が米軍に対して不十分だったんじゃないか、と思える分野が、実はこれ。


そういえば何年か前、「想定の範囲外」が流行語になった。これも実は同じデンで、想定の範囲内なら事前に対応策を用意しておけるのだから、驚かされることは少ないし、相対的に被害も抑制できる。想定していないから対応策がなくて慌てることになるし、驚かされて腰を抜かすことになる。

となると、想定というのは「相手の立場になって考える」とか「想像力の有無」とかいう問題につながるわけで、「相手が自分も思う通りに動いてくれるに違いない」という思い込みは敗北に向けての第一歩。

となると、たとえば演習をやる場面で「事前に設定したシナリオ」とか「理想の戦い方」「理想の勝ち方」にこだわりすぎるのは、考え物なのかも。つまり、偶発的な要素が入り込む余地を作っておいて、「想定外」が起きる可能性を意図的に仕込んでおくということ。

もちろん、それが通用するのは、ある程度のレベルに達した後の話。基本となる訓練や演習であれば、決められた通りの内容を反復して訓練することが優先されるだろうけれど。

自分の場合、普段の仕事でも、過去の経験や仕込んでおいた知識に基づいて作戦計画を立ててから臨むし、取材モノなら事前にある程度の原稿を仕込んでおく。ところが、実際に現場に出たり現物を見てみたりしたら、事前の想定とまるで違っていることもある。

経験を積むと、その辺のギャップは小さくなるけれど、たぶん皆無にはならない。結局のところ、「想定外」にどう立ち向かうかという課題は一生、ついて回るのだろうなと。

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