Opinion : "もったいない" と "万が一の可能性" (2015/11/09)
 

ここのところ、身辺整理に力を入れていて、ほとんど毎日のように「あれも要らない、これも要らない」とやっていた。

身辺整理といっても、別に自分の死期を悟ったとかいうわけではなくて、単に「書類や資料がゴチャゴチャしていて、必要なときに必要なものにアクセスできない懸念が」とか「使っていないモノがスペースを無駄に食っている」とかいう理由。

だから、キーワードは「万一の可能性の過大評価」。「今は使っていないけれど、ひょっとすると、また出番があるかも知れない」というレベルのモノは基本的に廃棄する (仕事に関わる資料の類は別として)。それで捻出したスペースを使って整理整頓するとともに、アクセスを改善する。


なんていうことを書くと、「まだ使えるものを捨てるとはもったいない」とお叱りの声が飛んできそう。でも、自分にいわせれば「使うか使わないか分からないモノがスペースを無駄に食っていることの方が、よほどもったいない」。

だいたい、過去の経験からいっても、「ひょっとすると、また出番があるかも知れない」と思って残して置いたモノに実際に出番がめぐってきたケースは、ロクに存在しない。そんなものである。

金額の小さいモノであれば、後になって「やっぱり必要だった」ということになっても、買い直しによる経済的ダメージは小さい。これは計算できるリスクの範囲内。クルマや不動産みたいな高額商品になれば話は違うが、その手のモノは「あれも要らない、これも要らない」の対象にならない。

もちろん、「万一の可能性の過大評価」が問題になるのは、現時点で使っていないモノに限られるから、実際に稼動しているモノはそのまま。それに、何でもかんでもホイホイ捨てているわけでもない。

軍艦や戦闘機や戦車だと、「ドンガラの部分、ヴィークルとしての部分はまだ通用するけれど、アンコの部分、ウェポン システムとしての部分が陳腐化したので、アップグレード改修をやってしのぐ」というパターンが多い。

もちろん、これが成立するのは「ドンガラの部分、ヴィークルとしての部分はまだ通用する」という前提が成り立つ場合に限られる。ドンガラがボロボロなのに中身だけ新しくしても、それはおカネをドブに捨てるようなモノで、それこそもったいない。

うちだと、仕事用本務機になっている自作 PC がそれで、中身は何度も総取り替えになっているけれど、星野金属のアルミケース (懐かしい) だけはずっとキャリーオーバーしている。そういうケース (この場合、まさにケースだ :-) もあるわけで、ただ単に捨てまくっているわけではない。

つまり、「もったいない」の意味は場面や状況や対象物によって変わるもので、ただ単に「モノを捨てないのが正しい」というわけではない、といいたい。リサイクルも同じで、リサイクルのために却って人手や費用やリソースを多く使っていることがありはしないだろうか。それでは却ってもったいない。


ただ、「万一の可能性の過大評価」には「場合によりけり」のところがある。軍事施設なんかは典型例で、平時には無駄に見えても、戦時になると需要急増によって出番がめぐってくることがある。たとえば、飛行場の駐機場、駐屯地の空きスペース、港湾施設の岸壁など。

「無駄呼ばわりされることがあるけど無駄ではない」のは、たとえば演習で撃つ実弾。シミュレーション訓練が進化して、昔に比べればリアルな訓練ができるようになったというけれど、本物の実弾を撃つ緊張感まではシミュレートできない。機会が減っても、やはり最後は実物を操縦したり実弾を撃ったりしないといけない。

それに、放って置いても寿命が来るモノなら、訓練で撃って射耗する方が有効活用になるというもの。ミサイルだと、コンポーネント単位で更新して延命する使い方があるし、実際、LGM-30G なんかはそれで "as new" 状態になっているけれど。

先の「もったいないの意味は場合によりけり」と同じで、「万が一の可能性の過大評価も場合によりけり、ときには万が一の可能性まで考えないといけない場面もある」という話になる。無論、程度問題であるにしても。

ことに「もったいない」とか「ものを大切にする」とかいうのは分かりやすい正義だから、ついつい暴走して「もったいない原理主義者」「リサイクル原理主義者」みたいになる人、いるんじゃないだろうか。(逆に、「モノを持たない原理主義者」になる人もいるみたいだけど)

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