Opinion : 秘密保持の意識に関する徒然 (2015/11/23)
 

こんなニュースがあった。

陸自元総監、ロシア武官に内部向け教本漏えい (讀賣)

なんでも、陸上自衛隊の泉一成・元東部方面総監 (64) が退官後の 2013 年に、部隊運用などが記載された教本「普通科運用」を、在日ロシア大使館の駐在武官に渡していたのだそうだ。「誰でも手に入れられる教本を渡したからどうだというのだ」という論の是非については措いておくとして。

こういうニュースが出ると、当然ながら自分の身辺では「防諜意識が足りない」という声があがる。では、防諜意識とはどんなもので、どうすれば涵養されるものなのか。


以前にどこかで書いたと思うけれど、どんな組織にでも、表沙汰にしない秘匿事項はある。企業や政府機関の「秘密主義」を糺弾する新聞社や共産党にだって、表沙汰にしない秘匿事項はある。なんの秘匿事項もない組織というものがあったら、見てみたいものだ。

組織でなくても、個人にだって大小さまざまな秘匿事項はある。秘匿事項とまでいわなくても、「この情報は広く知られるとありがたくない」という種類のものはあるし、それだからこそ個人情報保護という話が出てくる。

では、情報の保護とか保全とかいうものは、どうすれば実現できるのか。まず、「何を秘匿すべきか」が明確にならないと話にならない。

ところが、なんでも手当たり次第に「秘」のハンコを押すだけでは、秘密保全は成り立たないと思われる。「事なかれ主義」的な観点からすれば、「とりあえず、なんでも秘密指定して外部に出さないようにしておけ」という考えに流れそうだけれど、たぶん、それでは秘密は守れない。なぜか。

秘密指定するといっても、そのレベルはいろいろ。軍事組織の秘密指定ひとつとっても、レベルは何段階もある。外部に漏出したときの影響やダメージの違いを考えれば、複数のレベルが存在するのは当然の話になる。

ところが、「とりあえずなんでも秘密指定しておけ」では、そこのところの感覚が鈍るのではないか。「秘」のハンコを押したものが増えすぎると、却ってそれが日常になってしまい、「なぜ秘匿するのか」「外部に出るとどれぐらいヤバいのか」を考える頭が鈍るのではないか。

だから、防諜意識というのは単に「情報を漏らすな」と連呼するだけ身につくものではなくて、「この情報が外部に出たらどうなるか」との観点から個別に考える力を身につける必要があると思う次第。

といっても、専任の情報機関のアナリストならいざ知らず、一般の社員・職員・軍人のレベルで、いちいち突っ込んで「情報を盗って分析する側」のマインド セットを叩き込むのは非現実的だけれど、少なくとも、「盗る側の視点」を経験させるぐらいのことはできると思う。

たとえばの話、(これは確か自著でも書いたネタだけど) Twitter をやっている人なら、自分の過去のツイートを読み返させて、そこから住んでいる場所や仕事の内容をどこまで推測できるか考えさせてみる。

もちろん、そういった情報をどこまで秘匿するべきかという事情は人それぞれだから、たとえば住んでいる場所ひとつとっても、「完全封止」という人もいれば「市町村区のレベルまでは OK」という人もいると思われる。

ただ、その「OK」のレベルを超えるところまでヒントをばらまいてしまっていたら… という観点から点検してみても、たぶん害はない。


もっとも、たいていの場合には「常識」あるいは「感覚的」「経験的」な判断により、「この情報は公開しても差し支えない」「この情報は公開するとヤバイ」と判断しているものだろうし、それでうまく回っていくことがほとんど。

だから、そうした枠を踏み越えてクリティカルな情報が表沙汰になるのは「よほどのこと」。裏を返せば、ホイホイとクリティカルな情報を触れ回る人、あるいはそれを吹聴する spam メールの類は「胡散臭い」という話になる。

そういう観点から、「激裏情報」と銘打った spam メール、あるいは Twitter にしばしば出没する (らしい)「自称○○」を眺めてみるのは面白いかも知れない。つまり、普通なら公知にならないはずのインサイダー情報をホイホイと触れて回る奴がいるという時点で、そもそも怪しいんじゃないか、信用ならないんじゃないかという話。

個人的には「激」とか「裏」とかいう字が頭にくっついている時点で、もう「怪しい」と思うことにしている。この字に頼って宣伝しようとする時点で、そもそもボキャ貧なのだ。

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