Opinion : 常総市職員の残業代に関する徒然 (2015/12/7)
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水害に見舞われた茨城県の常総市で、市職員が残業続きになり、中には月間残業時間 342 時間なんていうケースが発生した由。えーと、9/10-30 までの 20 日間で 342 時間ということは、1 日平均 17.1 時間で、もうほとんどフルタイムで働いていたということにならないか。
平均でも 139 時間だったというから、1 日あたり 7 時間近く。これでも「起きてる間はほとんど仕事」という計算になってしまう。
で、そこに遠藤章江市議が噛みついて「もらう権利はあるが、全国から来たボランティアが無償で働いている中、市職員が多額の給与をもらうことに市民から疑問の声が上がっている」といいだした由。なんだそれは。
権利とかどうとかいう話じゃなくて、そもそも、給与規定に則って給与を支払うことに対して嫉妬心を煽り立てるような形で噛みつくことが「どうかしている」と思った。
「ボランティアが無償で働いているのに」といって市職員の給与を勝手にへつるような話がまかり通れば、それは、市の給与規定を恣意的にオーバーライドできるということ。そんなことをいったら、「もっともらしい理屈をこねれば、既存の規定類はみんな、その場の恣意的判断でオーバーライドできる」ということになりかねない。
そんなに市職員に高い給与を払うのが嫌なら、これ見よがしに職員給与の総額の大きさをあげつらうような手法を使うのではなくて、「給与上限制」の条例案を出したらどうか。議員ならそういうアプローチをとる方が、まだしも筋が通るのではないか。
もちろん、その条例案そのものの内容がどうなのか、という話はまた、別の問題。給与に上限を設けろと主張しているわけではなくて、遠藤市議がとったアプローチがおかしいといっているので、お間違いのなきよう。
そこで「市職員の給与はへつれ、市議のギャラはへつるな」なんていいだすギャグ的展開になったら見モノだが、実際にどんなことになるかは知らない。
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もっとまともなアプローチとしては、「災害などで突発的に仕事が増えた場合の対応策に関する条例案」を出す。給与総額の多寡に焦点を当てるよりも、そっちの方が筋が通りそう。
よくよく考えると、自分は「残業代」というものと縁がない生活をするようになって四半世紀近く経つ。だからといって、他人が多額の残業代をもらっていることに嫉妬心を覚えるかというと、そういうわけでもない。
それは最初から「時間ではなくて、アウトプットに対して報酬をもらうものだから」と分かって仕事をしているから。フリーランスっていうのはある意味、究極の成果主義みたいなところがある。
もちろん、アウトプットに対して規定通りの報酬はちゃんと支払われるべき、とは思っている。そこで「もっと安いギャラで働いている人もいるんだから、おまえのギャラも勝手にへつっていいよね」なんていわれたら、そりゃ怒る。
とどのつまり、この一件も日本にありがちな「足の引っ張り合い」の一例なのかなぁと。「低いところを引っ張り上げよう」とするよりも「高いところから引きずり下ろそう」という。見ようによっては、「なんでも激安にするのが正義」という、デフレ時代の悪しき置き土産といえるかも。
でも、他人の給与を激安にすること、あるいは自分の支出を激安にすることばかり考えていると、回り回って自分のインカムも激安にされちゃうんじゃなかろうか。それがデフレ時代の教訓だと思ったんだけどなぁ。
もっとも、こういうことを書くと「モノは要らない、みんなで清貧を目指せばいい」とかなんとかいって、妙ちきりんな方向に話をひん曲げようとする人は出てきそう。だから、それが「みんなで低いところに墜ちよう」という発想なんだってば。
そんなことばかりいってると、日本の経済も人の意識も、どんどん没落して深みにはまる。バブル時代のデタラメさも大概だったと思うけれど、その反動なのかなんなのか、「清貧は正義」「節約は正義」「カネを使わないのが正義」ばかりいいたてるのも、反対方向に振子が振れすぎてる。
「カネを持ってる人は応分の支出をしろ」なら、まだ分かるのだけどなぁ。
追記 :
その後の情報によると、上の話は遠藤市議の質問内容を毎日新聞の記事が意図的に曲解・切り貼りしたものに立脚していたと判明した。といって消してしまうのもどうかと思うので、記事そのものは残した上で、関係者にお詫びしたい。噛みついたのは市議ではなく新聞記者の方であったわけだ。
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