Opinion : 後ろばかり見てどうする (2016/2/22)
 

昨今、「はまなす」だの「カシオペア」だの、それらと比べると注目度は下がるかも知れないけど「白鳥」だの、あるいは「トワイライト」だのと、葬式ネタには事欠かない。

「いつまでもあると思うな親となんとか」というし、鉄道趣味界でもそれは同じ。いや、飛行機でも軍艦でも何でも同じか。いつでも見られると思うと行かないし、いつでも撮れると思うと撮らない。そういうもんである。

でも、日常だったものがいつの間にか非日常になって、最後は「さようなら」になる。尻に火が点いてから大騒ぎするぐらいなら普段から記録しておけばいいのに。と思うけれども、なかなかそうならない。

で、珍しいものにばかり注目しているうちに、珍しくも何ともないはずだったものが珍しいものに変わっていることに気付いて大騒ぎになる。それの繰り返しでいいのかなあ、と思ってみたりする。

新しく出るものも同じで、数が少ないときには注目されるけれど、そのうち数が増えて日常になると、見向きもされなくなる。そのうち引退の時期が近付くと、また注目される。なんだ、バスタブ曲線なのか。


ただまあ、それまで日常だったモノがなくなると思うと、なにかしらの寂しさを覚えるのは確か。これは人によって温度差がありそうだけれど、長いこと乗っていたクルマを手放して新しいクルマに乗り換えるときなんていうのは、「わくわく」と「寂しさ」が入り乱れた、ちょっと複雑な心境になる。

ただし、会社の営業車みたいに、特にこだわりも思い入れもなく、道具に徹している場合は事情が違うかも知れないけど。

ペーパードライバーを廃業してから、これまでに合計 4 台のクルマを乗り継いできたけれど、自分のクルマの運転席って「自分だけの馴染みの空間」になるから、それが変わることのインパクトは案外とある。

もっとも自分の場合、2 台目と 3 台目は同じ車種だったけど、それでも変速機やナビは変わった (変えた) し。あと、車種が変わると加減速やハンドリングのフィールがだいぶ変わる。

クルマ以外だと、引っ越しも同じかも知れない。この場合、建物というハードウェアだけではなくて、住んでいる街が変わることも意外と心理的影響がありそう。住んでいる場所の空気や雰囲気が変わる上に、日常生活のパターンやサイクルがガラッと変わってしまうわけだから。

同じ街の中で、あるいは近所で引っ越す場合には、この限りにあらず。でも、それはどちらかというと、少数事例なのでは。

ただ、そこで「寂しい」ばかりいっていても始まらないわけで… クルマを変えるとか住処を変えるとか、そういうイベントをきっかけにして、不満だったり不自由だったり不便だったりした点を解決して心機一転じゃあ。というぐらいの心境でいきたいところ。

要するに、後ろばかり見ていてもダメよと。いったん、クルマを乗り換えるとか引っ越すとか転職するとか、とにかく何か変えるんだと決めたら、変えることからどれだけプラスの結果を引き出すかを考える。後ろばかり、なくなるものばかり見るなと。


北陸新幹線ほど劇的に「対航空機」の時間的競争力が増すわけではないとか、共用区間のスピードが今と変わらないとか、いろいろいわれている北海道新幹線も同じじゃないかと。とにかく 1 ヶ月後には営業が始まるのだし、後はそこから何を引き出すかを考えないと。

新幹線と入れ替わりに消えていくもののことばかりいっていても、それは何の解決にならないし、プラスにもならない。そりゃまあ、「消えていくものは美しく見える」というのはあるかもしれないけれど、それは心理的バイアス込みの話である。

もっとも、後ろも見ていないといけない場面はある。クルマの運転中とか、戦闘機で空中戦をやってるときとか。

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