Opinion : 人を殺すための予算、に関する徒然 (2016/6/27)
 

共産党の藤野保史政策委員長が、26 日に出演した NHK 番組で、防衛費のことを「人を殺すための予算」と発言した由。

ところが番組終了後に、発言を「不適切」として取り消すコメントを出したのだという。そのコメントによると…

「発言は、安保法制 = 戦争法と一体に海外派兵用の武器・装備が拡大していることを念頭においたものでしたが、テレビでの発言そのものはそうした限定をつけずに述べており、不適切であり、取り消します」

なんかピントがずれていないか、このコメント。


昨今、日本周辺ならびにアジア地域で緊張度が高まっている状況でもあり、自国を護るための部分について正面から文句をつけるのは避けて、代わりに「海外派兵」を槍玉に挙げることにしたのかも知れない。

そういえば最近では、昔と比べると自衛隊への支持や好感度が上がっているせいもあり、海外派遣ひとつとっても「自衛隊員を死なせていいのか」という反対の仕方に転換してきている様子。そういうところを見ると、一応は空気を読んでいるわけだ。

でも、「海外派兵用の武器・装備が拡大している」って、具体的にどんな ? 海外派遣任務向きということで、パッと思いつくのは C-2 輸送機ぐらいのもの。それとも共産党の中の人は、AAV7 で東シナ海をドンブラコッコと渡って中国本土に自衛隊を上陸させると思ってるのか ? と、冗談はこれぐらいにして。

あれこれ理由をつけてみても、国防費というのは、煎じ詰めれば武力を整備して行使可能にするための費用。だから「人殺しのための費用」という文脈そのものを否定することは難しい。

拳銃・小銃に始まり、対空ミサイルや対艦ミサイルなどの各種兵装、それらを搭載するためのプラットフォームに至るまで、煎じ詰めれば殺傷や破壊の道具である。それはもう否定のしようがない。意識の上で「戦車や艦艇や飛行機を狙っている」といっても、それが成功すれば結果的に、そこに乗っている人は死傷する。

ただ、それをどう使うかというのが根本的な問題なのでは。

つまり、「自国に対して武力で何かを強制しようとする国」に対する抑止力として自前の武力を持ち、それによって抑止効果を発揮することができたら。その場合、国防費/防衛費は結果として、人死にを避ける費用として機能することになる。こじつけくさいけれども、そうなる。

そして、国家が持つ武力がおかしな使われ方、あるいはおかしな動きをしないように「統制」という考え方がある。国家が持つ軍隊という名の武力組織は、きちんと「統制」されることで信頼を得る。それは文民統制でも、そうでなくても同じこと。

そういう意味で、5.15 事件とか 2.26 事件とかいうのは「統制」をぶち壊しにした典型例だと思う。動機がどうだろうが、断じて許容されるもんじゃない。

それだからこそ、以前から何度も書いてきている話の繰り返しになる。つまり、「軍人ではなく文民による統制が正しい」と主張するのであれば、その文民は武力の正しい意味や使い方を知っていないといけない。だいたい、文民が戦争をおっ始めた事例はいくつもある。

ついでに書けば、文民政治家を選挙で選んだのは国民、ということだってある。勝ち戦の間だけ国民も一緒になって大喜びして、負けたら掌を返した国もある。どこのこととはいわないけれど。


誤解されそうなので念を押しておくと、藤野氏の発言を擁護しようとは思わない。まったく擁護する気は起こらない。有力な抑止力たらんとして訓練に励んでいる皆さんに失礼じゃあないか。(もちろん、「とにかく滅茶苦茶に戦争がしたいのだ」なんて公言してしまういかれた軍人は、しかるべく処分するべし)

ただ、藤野氏の発言に対して反論するのに「国防費/防衛費は人殺しのための費用ではない」といってしまうと、それはそれで筋が悪いし、墓穴を掘ることになりはしないか。ということで、この駄文を書いてみた。

「殺しの道具だけれども、それをどう使うかが問題。術力を磨き上げたり、外国軍との交流を図ったりすることで、武力紛争の予防・抑止ができればベスト」というのが最善の持って行きどころではないのかなぁと。

ただ、攻めて来られた場合のことだけでなく、こちらから武力を行使しないとどうにもならない、と思ってしまう (またはそう考えざるを得ない) 場面もあり得るから難しい。それを否定する人もいるだろうけれど、「武力行使を絶対にやらないという考えに殉じろ」といっても、万人が首肯するわけではなかろうし。

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