Opinion : 負けた後が肝心 (2016/7/25)
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国家同士が武力や政治力や経済力で戦うとか、その武力で戦う場面で軍隊が戦闘・戦役に関わるとか、企業同士がビジネスの現場でやり合うとか、選挙で政党同士 (または候補者同士) がやり合うとか、スポーツの試合だとか。とにかく、いろいろな形の「戦い」がある。
どんな分野であれ、戦いがあれば勝者も敗者もいる。プロ野球や J リーグだと、勝ち負けだけでなく順位もついてくる。あ、ビジネスでも同じか。
誰もが勝とうとして必死になっているのだから、誰かが常に楽勝できるなんていうことはないわけで、勝つことがあれば、負けることもある。それは仕方ない。ただ、負けたときに、その負けとどう向き合うか、という問題はあるんじゃないかと思う。
負けました。そこで敗因を究明して、次に同じような負けを繰り返さないために頑張ります。おわり。これは分かりやすいし、普通の反応。ところが、実際には負けているのに、負けているという事実から目を背けようとすると、妙なことになる。
たとえば戦闘において、そこで達成しようとしていた目標あるいは使命を達成できなければ、それは負けだといえる。分かりやすい例が珊瑚海海戦で、沈んだフネの数は米海軍の方が多かったけれども、日本海軍はポートモレスビー攻略という目標を達成できなかった。
そこで「いや、米艦の方がたくさん沈んでいるから勝ちである」といいだすのはどうなのか。そういえば、だいぶ以前に、ノモンハン事件について同じようなことを書いた気がする。あれも「ソ連軍の方が死傷者が多いからフンダララ」という人が後を絶たない。
選挙だったら、担いだ候補者を当選させて議席なり首長の椅子なりを獲るのが目標なわけで、それを達成できないとか、改選前より議席を減らしてしまったとかいうことになれば、それは負け。
そこで「予想していたよりはマシ」とか「○○選挙区では勝った」とかいうことばかり並べると、トータルの負けから目を背けようとしている (あるいは周囲の目を背けさせようとしている) のだといわれても仕方がない。
ビジネスの世界は、もうちょっと複雑。シェアをとって売上が伸びて、それで利益も出せれば分かりやすい勝利といえる。しかし実際には、シェアは増えたのに赤字だとか、増収減益だとかいう話が出てくる。ただ、利益が出ないと事業が続かないから、利益が出なければ、少なくとも勝ちとはいえない。
ともあれ、「勝って兜の緒を締めよ」というぐらいなのに、負けた側が事実から目を背けて兜の緒や褌を緩めてしまったのでは、次はもっと負けても致し方ない。
もっとも、(今回の | 従来の) やり方に問題があって負けたみたいだから、やり方を変えよう」と思っても、それをパッとやるのが難しいことは間々ある。ビジネスの世界ならまだしも、分野によっては「変えたくても変えられない」ということがある。
たとえば、どこかの政党が選挙で議席を激減させたからといって、それまで掲げていた看板や思想や手法をパッと降ろせるかといえば、それは難しい。よしんば路線転換しようという声が出たとしても、「党の幹部や思想的指導者のことを否定するのかフンダララ」という反対論が出て沙汰止み。というのはありそうな話。
軍隊も似たようなところがある。幹部とか教育関係とか、とにかくそれまでの装備や戦い方を取り仕切ってきた側から、路線転換に反対する声が出てくるのはありそうな話。路線転換が必要というコンセンサスができても、今度はそれを実現するためのリソース (カネ・資源・技術など) がない、というのもまた、ありそうな話。
ただ、そういう言い訳をして路線転換をしなかったり、あるいは路線転換が遅れたりすると、ますます負けが混んできて、ジリ貧がドカ貧になる。負けに向き合うとともに、それを繰り返さないためのある種の機敏さを発揮するにはどうするか。
実のところ、リソースをどうにかするよりも、人の抵抗をどうにかする方が難しいんじゃないだろうか。なんていうことを、どこぞの政党が没落する様を見ていて感じた次第。
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