Opinion : JR 北海道に無理難題をいう人達 (2016/11/28)
 

もう 30 年以上前の話になるけれど、青木栄一先生が「鉄道ジャーナル」誌で北海道のローカル線問題について取り上げた際に「"鉄道もない僻地" になることへの本能的な嫌悪感」や「国からどれだけの資金を引き出したかで議員や首長が評価される風土」といった指摘をされていた。

実のところ、「国鉄」が消滅した現在でも、この辺のマインド セットは全然変わっていないな。というのが、最近の JR 北海道をめぐるあれこれを見ていて思ったこと。

要するに「カネは出さない」「路線は維持しろ」「自助努力でなんとかしろ」「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」と。行き着く先は「国がなんとかしろ」だろうか。

運輸業というのは根本的に「乗る人がいないと成り立たない」ものなのだから、「どうやったら利用を増やせるか」という話が先行しないと始まらない。それができないレベルまで沿線人口が減っているのであれば、「鉄道でなければならないのか」という話になる。

なのに「鉄道はあって当たり前」「でも負担はしたくない」となってしまう。それで精神論に走るのでは、リソースがないのに結果を出すことを求めて精神論で埋め合わせようとした、かつての帝国陸海軍と変わらない。

なにかというと JR 北海道を叩いている北海道新聞、実のところ帝国陸海軍は好きじゃなさそうだけど、やってることは似たり寄ったりではないかと。


繰り返すけど、「人がいなけりゃ運輸業は成り立たない」。直接的に資金を出すとか、上下分離といった形で負担をするのが嫌でも、せめて「沿線人口をどうやって増やすか、沿線の産業をどうやって活性化するか」ぐらいの話は出てこないと。

ところが実際に出てきたのは、「観光列車を走らせたらどうか」という、夢見る夢子さんみたいな話。

何度も書いていた話だったと思うけれど、ごく一部の例外を除いて鉄道業は基本的に、「毎日利用する地元の利用者」がいないと始まらない。それに、そっちの方が安定した、大きな比率の売上になる。観光客を呼び込むことも重要だけれど、よほど熱心なリピーターがたくさん付くのでもなければ、観光客は一発モノなのだから。

ましてや、何かのイベントあるいは出来事をきっかけにしたブームでワッと利用が増えても、継続的な利用につなげられなければ、いずれは元に戻る。どんなブームでも、起きているときはそれがずっと続くと思うものだけれど、そうは問屋が卸さない。

それに、いわゆる観光列車も数が増えてきて、「観光列車がある」というだけでは誘客になりにくくなってきているのではないか。よほど熱心な好き者でもなければ、日本全国のどこにどんな観光列車が走っているかを完全に諳んじてはいないだろう。

そして、九州あたりで実際に乗ってみれば分かるけれども、ただ走らせればいいというものではなくて、沿線の協力やバックアップや盛り上げも不可欠。ただ単に「走らせれば、売上が湧いて出る打ち出の小槌になる」訳じゃない。

これがいわゆる高価格帯のクルーズトレインになると、列車を造って走らせるだけではなくて、線路や駅施設にもしかるべく手を入れないと、という話になる。線路が貧弱で手入れが悪くてガタガタ揺れるのでは、豪華な客室も食事も台無しになる。

クルーズトレインとまでいかなくても、よくある「グルメ列車」だって、その辺の事情は大差なかろう。ガタガタ揺れる車内で、落ち着いて食事を楽しめるものではない。

ましてや、北海道は気象条件が厳しいのだから、内地以上にしっかり手入れをしないと、すぐに軌匡も路盤も傷んでくる。「観光列車を走らせろ」といっている人で、そこまで考えた人がどれだけいるのか。


以前に Twitter でチラッと書いたけれど、「鉄道」にしろ「観光列車」にしろ、地域の満足心やプレステージを維持するための「装身具」ぐらいにしか思われていないんじゃないの。と思いたくもなる。実は鉄道に限った話ではないかも知れないけれど。

もう一度書くけど、輸送に関わるものは何でも、輸送需要がなければ成り立たない。だからそれを作ったり維持したりするには、輸送需要を作り出さないといけない。それも一発モノではなくて、ある程度、恒常的に維持できるような水準の。

なのに、需要が限られている中で「鉄道は残せ、高速道路は造れ、空港は造れ」といっても、そのすべてを維持できるもんだろうか。

でも、そういう話をぶつけても「有権者」や「読者」は喜ばないから、自治体にしろマスコミにしろ乗ってこない。その辺に問題の根本があるんじゃないかしらん ?

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