Opinion : 体験と証言 (2017/1/30)
 

NHK のニュースで「戦争証言を継承 担い手の養成講座始まる 東京 国立」というのがあった。これを聞いて (いや、Web の記事だったから「見て」か)、なんだかモヤモヤするものが残った。

いわく。「原爆の投下や東京大空襲など戦争を経験した人から証言を聞き語り継いでいく担い手の養成講座が東京・国立市で始まりました」。


これに限らず、「戦争体験者が語る話を聞く」という類のイベントはいろいろある。戦争体験とも災害体験とも関係ないけれども、仕事で「現場経験者の体験談を聞く」という取材はいくつか経験している。

実際、現場を経験した方でなければ聞けない話… というか、現場を経験した方でもなければ出てきそうにない話というのは、いろいろある。新幹線の鴨宮モデル線で 256km/h の速度記録を出したときの運転台で何があったか、なんていうのは典型例。

経験談を聞くだけでなく、実際に現場で現物を見て取材して、初めて分かることもいろいろある。だから、将来に向けた蓄積になると思えばチャンスを逃すわけにはいかないから、「自腹でもいいから行きます !」と得意の台詞を発動することもままある。

ただ、それらはいずれも、生で体験した話を聞く、あるいは自分が生で見聞きするという話。それだからこそ価値があると思っている。そこで冒頭の話に戻ると。

戦争体験を語り継ぐことを否定するつもりは毛頭ない。「平和教育」というお題目をつけるかどうかに関係なく、重要なことである。

ただ、その「語り継ぐ」際の手法が「体験談」という形でなければならぬ… という方向に行ってしまい、その手法を守るために「証言の担い手を養成する」というところがモヤモヤする。養成された「証言の担い手」が語るのは、あくまで、生の体験談ではなくてセコハンである。

誰でも永遠に生き続けられるわけではないのだから、いつかは鬼籍に入る。そうなると、生の体験談を語れる人はいなくなっていく。それはもう、戦争でも災害でもなんでも関係なく同じこと。

じゃあ、生の体験談を語るのでなければいけないのか、そうでなければ説得力がないのか… といえば、そんなことはあるまい。大事なのは、変に誇張したり矮小化したりするのではなく、何も足さず、何も引かずに、経験したことをそのまま後世に残すことではないのか。

それができるのであれば、「生身の人間が肉声で語る体験談」にこだわる必要はないのではないか。体験者が存命のうちにビデオに撮っておくとかなんとか、手はあるだろうに。

そこで「肉声で語る体験談」にこだわると、おかしなことになるのではないか。「養成講座」が必ず伝言ゲームになる、と断言することは適切ではないけれども、実体験ではないという事実は変えようがない。


「養成された語り部」が話せるのはあくまで、聞いた体験談の語り継ぎ。そこで、自分が体験した出来事として語ったらウソが混じる。単に自分が体験したことをそのまま語るのと比べると、聞いた体験談を語り継ぐことの方が、客観性が求められる分だけ難しいのではないかと思える。

だからといって、実際に体験させるために戦争を起こしたり大災害を起こしたりするわけにも行かない。どちらも起こらない方がいい。「○○は危険だから反対、と主張するために、危険な事故が起きることを希求する」のと同じ轍は踏めない。

とどのつまり、「体験談が肉声で語る」という手段がいつの間にか目的に変質してしまい、体験を語ることによって何を実現したいのか、という本来の目的がお留守になっているように思えてならない。たぶん、モヤモヤの根本原因はそれ。

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