Opinion : 経済的ゆとりは心のゆとり (2017/2/27)
 

マスコミ関係者や、いわゆる文化人の人にありがちな傾向かも知れないけれど、「現代文明の所産」を否定するのがイケている、とする場面がチョイチョイ見受けられる。それと関連しそうな話で、「豊かさ」を否定する言説が出てくることもある。

たとえば、東北地方太平洋地震の後で、原子力発電を否定するのと絡めて、その手の言説があっような記憶がある。「たかが電気」発言も、そういう流れの延長線上にあるのだと思えば納得は行く (同意はいたしかねるけど)。

でも、現実問題として「みんなで平等に貧乏になりましょう」なんていうのは実現できない。国を挙げて貧乏になったとしても、そこではやはり格差が残る。共産主義国家でもなにがしかの格差はあったし、今の北朝鮮なんて格差社会もいいところである。


そもそも、「貧乏でも心の豊かな社会」なんて、自分が豊かだからいえる台詞なんじゃなかろうか。

ついでにいえば、「スピード社会の否定」だって同じこと。自分がさんざんスピードの恩恵を受けているからこそ、それを否定することができる。飛行機や新幹線があるからこそ、ローカル線の各駅停車が対極として引き立つのに。

交通機関や各種サービスが「ゆっくり」しかない世の中になったら、スピード社会を否定していた人ほど、一転して文句をいうのではないか ?

元の話に戻すと。基本的に「経済的なゆとりは心のゆとりにつながる」んじゃないだろうか。多少の価格差や損失に遭遇したときに「ま、いいか」といえるか「断じて許さねぇ」となるかは、ベースとなる経済的余力によって違ってくる。

もちろん、例外があることは否定しない。それに、無駄な支出を抑えた分だけ経済的余裕につながる傾向があるのも、また事実 (分かりやすくいうと「金持ちほどケチ」というやつ)。

逆に、「安いんだから仕方ないよね」というのもある種の余裕だけど、それができる人って、どれぐらいいるだろう。ちょっと疑問。

例をひとつ。「18 きっぱーのためにクロスシート車を走らせろ」「18 きっぱーのために系統分断を止めて長距離を走らせろ」「輸送障害が生じたときに 18 きっぱーを救済しろ」みたいなことをいう人を見かけることがある。

悪いけど、18 きっぷというのは休みのシーズンの穴埋め企画みたいなもの。なにも普通列車による長距離移動を奨励するとか、優遇するとかいう種類のもんじゃないだろうと思うのだけど。

なのに「激安長距離旅行」しか念頭にないと、上で書いたような発言になるんじゃなかろうか。

他所の業界だと、たとえば通信サービスや飛行機。安さを売りにしているサービスに対して、安くないサービスと同等の内容を要求する人がいる。でも、安い背景には、なにかしらの理由や制約がついて回るもの。そのことを忘れちゃいけない。

それに、激安ばかり求めていると、それが往々にして人件費の過度な節減につながり、結果としてブラック企業・ブラック職場を生み出す場面も出てくるのでは ? といっても、これは人件費がそれなりに高い比率を占めている場合の話だろうけど。


先に「ま、いっか」ということを書いたけれど、余裕というのは、それだけではなさそう。たとえば、「将来的に回収できると踏んで、当座の (先行投資 | 赤字) を許容できるかどうか」。当初に収支バランスがとれなくても、踏みとどまれるかどうか。それを左右するのもまた、経済的余裕の問題。

といっても、これは「将来的に回収できる見通しが立つ」ことが大前提で、見通しも立たないのに赤字や支出を垂れ流していたら、収拾がつかなくなる。とはいえ、見通しがあるのに先行投資できない、となれば大損失。

なんてことを書いていると、いまの日本の社会って、いろいろな意味で「余裕」をなくしているように思えて、そこがすごく不安を感じる。ちょっとしたインパクトが加わっただけで「プチッ」と切れてしまうんじゃないかと。

そういえば、世の中が思い通りに進んでくれないせいで「余裕」をなくしてしまっている方々もいらっしゃる模様。これは経済的な話とは関係ないけど。

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