Opinion : 即戦力の話について考えてみた (2017/5/8)
 

ここのところ Twitter の我が TL を賑わせている撮り鉄云々の話は、まだ話がまとまりきっていないので後回しにして、別の話を。

で、何を取り上げるのかというと、「即戦力」の話。求人広告で、よく出てくる単語である。ただ、中途ならともかく、新卒が相手の場合に求めることか ?


そりゃ雇う側からすれば、「即戦力」の方がありがたい。でも、誰だって最初は新人なんである。最初から、企業や役所や各種団体の第一線でバリバリ務まる人なんて、そう滅多にはいないだろう。

以前に書いた、特殊作戦部隊の話と共通するものがある。普通の歩兵部隊や機甲部隊や砲兵隊や工兵隊で修練と経験を積み上げてから選抜訓練に志願するから、特殊作戦部隊が務まる。入隊したての新兵がいきなり、グリーンベレーやデルタフォース級の仕事ができるかといえば、それは無理な相談。

民間の仕事だって、いろいろ経験や知識や知恵を積み重ねてくるに従って、ちゃんと仕事ができるようになる。

本当なら、さらに「効率良く仕事ができるようになる」も付け加えたいところだけれど、これは育ってきた環境や、いまいる環境に影響される部分が大きいので、とりあえず措いておく。

物書き業だって例外ではない。自分はそんなことはないけれども (納品した原稿と、できあがったものを見比べてみれば分かる)、中には編集者がほとんど全面リライトに近いことをしないと世に出せない、そんな原稿を納品する人がいるという。

そういえば。どの本だったかは伏せておくけれども、最初に別の人に書いてもらったら使い物にならない内容で、後で自分が「火消し」する形で世に出した本もあった。どこの業界でもありがちな「詳しい人が良い書き手とは限らない」一例。

それで何をいいたいかといえば、やはり「育てなければ良い人材は出てこない」という話。自分だって、お世話になった編集者の皆さんに育てていただいたからこそ、今があるんである。

その育てるプロセスを他人任せにしようとするから、話がおかしくなる。そして「大学で職業訓練を」なんてトンチンカンをいいだす人が出る。そういうことのために最高学府がある訳じゃない。


もっとも、昔みたいに「終身雇用が当たり前」の御時世なら、人手と時間と費用をかけて人材を育成しても、それに見合ったリターンは期待できた。ところが昨今みたいに雇用が流動化していると、「せっかく育てた人材に逃げられた」となる可能性はついて回る。社員のみならず、フリーランスでも同じこと。

その「育てる手間とリスク」をを避けようとすれば、「求む即戦力」ということになってしまう。でも、上で書いたように「誰だって最初は新人」なのだから、堂々めぐりになってしまう。そこで、どうすればブレークスルーを実現できるんだろうか。

ひとつ思ったのは、この国では特にありがちな「職人芸信仰」をひとまず引っ込めること。つまり、誰がやってきても、ある程度の水準までは同じように仕事ができるシステム・仕組みを整備すること。

もちろん、その「ある程度の水準」より上を目指す段になれば話は別。そこを分けて考えることは必要じゃなかろうか。

もちろん、本人にも向上心がないと始まらなくて、これは雇用する側だけジタバタしてもどうにもならない。できることがあるとすれば、「向上心がもたらした成果を正当に評価して報いること」か。そこでケチると人材が逃げる。

ただ、その「正当に評価」を「無形の評価」に置き換えて誤魔化そうとする人がいるから始末が悪い。あと、「最初のうちは食えない覚悟でやれ」という人もいる。でも、霞を食って生きろといっても無理な話。そういうことをいっていると、人材が逃げるんじゃないだろうか。

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