Opinion : 上から直球を投げることしかできない人 (2017/6/12)
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「AERA」の記者さんが、レッドブル エアレースのときに零戦が飛んだ一件に物言いをつけて炎上した。おっと、件の投稿を見て自分はダジャレ砲を発射したのだった。
もちろん、零戦でもその他の戦闘機でも、いや軍用機も装甲戦闘車両も軍艦も、みんな「戦の道具」である。それによって命を奪われた人はたくさんいるし、逆にそれらのヴィークルに乗っていて戦死した人もたくさんいる。それは厳然たる事実。
そして、武器というものはすべて、「実戦で結果を出さないと評価されない」という一面と、「威力・能力が評価されるからこそ抑止力として機能する」という本質的な矛盾を抱えている。その極めつけが核兵器。
いや、武器だけでなく、それを扱う軍人も、軍人や武器などで構成する軍事組織も、その軍事組織を擁する国家も、みんな同じである。「奴らを怒らせたら、えらいことになる」と思われること自体が抑止力になる。では、どうすれば「えらいことになる」と思ってもらえるか ?
実戦を経験しないで済むなら、それに越したことはない。しかしそうすると、「実戦を経験することで得られる実力の裏付け」が得られないから、ときとして、抑止力としての有効性に疑問符をつけられる事態になる。
ことに武器というのは、こういう矛盾から逃れられないもの。そこに単純な善悪二元論を持ち込むと、前述した 2 つの話がコンフリクトして収拾がつかなくなる。
その矛盾を否定して「軍事・戦争にまつわるものをすべて消し去ってしまえば世の中は平和」という方向に行こうとするとどうなるか。その場合、「抑止力の否定」という論法に話が飛ぶ。抑止という考え方を否定すれば、抑止の道具が存在する必要性も否定できるから。
でも、実はそこには「気に入らないものを消し去ってしまえば平和になる」という発想があって、そういう発想自体が戦争の元なんである。
件の零戦の一件が炎上した理由は、そういう本質的矛盾であるとか、単純な善悪二元論とのマッチングの悪さとかいったことをすっ飛ばしてしまい、「戦の道具を肯定的に見るなんて怪しからん」という方向性で異論をすべて否定してしまったところにあるんじゃないか。
実のところ、その「異論をすべて否定する」という考え方が往々にして戦争の原因になるのだけれど、御本人はそのことに (たぶん) 気付いていない。それだからこそ「正義の押し売り」ができてしまうわけだけれど。
そりゃまあ、「いちぜろ」あるいは「白黒」で二分割して単純にぶった切ってしまい、「快刀乱麻を断つかのように悪い奴らをやっつける」という時代劇みたいなシナリオは、分かりやすいですけどね。
実のところ、「平和な日本の空を零戦が飛んでいるけれども、かつてあの飛行機に乗って戦場に赴き、命を落とした若者がたくさんいたことも心の片隅に留めておいて欲しい」ぐらいにしておけば、特段、荒れることはなかっただろうと思う。
それに、そういう書き方の方が、むしろ多くの人の共感を得られたかもしれない。
なんだけども、そこで「零戦が飛んでいるのを見て喜ぶのは、かつての日本を肯定的に捉えている人」「私の意見に噛みつくのは唾棄すべきネトウヨ」っていうノリでやっちゃったもんだから、自ら燃料を注いで燃やしてしまった。
実際にそう発言したという意味ではなくて、「そういうノリ」という意味である。為念。
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つまり、正義の押し売りがあまりにも上から目線で直球勝負で押しつけがましくて拙劣で下手。もっとこう、「知らず知らずのうちに自分の主張に賛同して味方になるように引き入れる」といった巧妙さを発揮できなかったんだろうか。
何でもそうだけど、真正面から直球をぶん投げるだけが能ではなくて、行間に書くとか、搦め手から攻めるとかいう手もあるのだよ ?
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