Opinion : 反・いちゼロ系ヤケクソ派 (2017/9/18)
 

北朝鮮の核兵器や弾道ミサイルの開発が進む中で、捨て鉢になったり厭世的無常観の世界に逃げ込んだり、といった類の発言が散見される。たとえば、ミサイルが一発、日本の上空を飛んでいったと聞いただけで「もうダメだ〜」となっしまい、あらゆる対処のための努力を否定してしまうような。

さんざんいわれていることではあるけれど、通常弾頭装備のミサイルが着弾しても、せいぜい街の一ブロックが破壊されるぐらいの話であって、それだけで「日本が終わり」とはならない。

無論、それが自分の頭上に降ってくれば「一巻の終わり」ではあろうけれど。ただ、そうなる確率はいかほどのものか、ということは考えておいた方がいい。たとえばの話、弾道ミサイルが自分の頭上に着弾する確率と、交通事故に遭う確率と、どっちが高いと思う ?

弾道ミサイルの脅威というのは、それが大量破壊兵器とワンセットになったときに、一気に具現化する。そこのところが分かっていないと、今の北朝鮮情勢の何が問題なのかを理解できなくなる。


この件に限らないけれども、「旗色が悪くなったときでも打てる手は打って被害を局限する、あるいは逆転に向けた布石を打つ」といったしぶとさ、粘り腰が、根本的に欠けているんじゃないかなあ、と思うことはある。

その典型例が、「100% 迎撃できる BMD システムでなければ無意味」といった類の、いわゆる「いちゼロ系」の発言。もっとも、この手の発言の多くは、BMD システムの存在を、あるいはその有用性を認めたくないから、「100% でなければ要らない」となってしまうのであろうけれど。

してみると、「100% でなくても、迎え撃てるものは迎え撃って被害を少しでも減らす」という発想にならないのは、「BMD そのものを否定するため」あるいは「100% でなければたちまち捨て鉢になる」のいずれかが多いのかも知れない。

でも、「うわ、やっべえ、このまま昇天してしまうのか ?」と思ったときでも、やれるだけのことをやって、それで助かった事例は、探せばいろいろ出てくる。自分が 2000 年 9 月に中央道でトラックに追突されたときも、そうだった。

もっとも、あのときには「何か考えて」というよりも「咄嗟に反応した」という方が正しいのだけど。その背景には、以前にも書いたように「ツインリンクもてぎ」でスキッドリカバリーの経験をしていた件がある。

安全な場所で危ない経験をしておいたことが、後になって自分の生命を救うことにつながったと、自分はそう信じてる。

ことに「生きるか死ぬか」の局面では、その「ちょっとした粘り、しぶとさ、咄嗟の判断」が生死を分けるんじゃないだろうか。「日経ビジネスオンライン」で「J アラート」の記事を書いた動機もそれ。

「弾道ミサイルが降ってきたら、もうおしまい」ではない。それによってどういう被害が生じ得るか、それを回避、あるいは局限するにはどうすればいいか、ということを記事に書いた。「いちゼロ系ヤケクソ派」の言い分に反論するために。


上で事故の話を書いたけれども、衝突安全ボディもエアバッグも EyeSight も、要はそういうことではないのか。100% の事故回避・救命にはつながらないかも知れないけれど、可能な限りの手は打って、少しでも事故や事故発生時の被害を抑えましょうと。

と、ここまで書いたところで、「電車には想定外の事態に耐えられるだけの車体強度が必要」というトンデモの話を思い出した。それではなにか。(わざと極論に振るならば) MRAP (Mine-Resistant, Ambush-Protected) みたいな車体を備えた電車を走らせろというのか。そんなアホな。

JR 西日本の 225 系みたいに衝撃吸収のための配慮をした構体があれば、日立 A-Train みたいに妻面の形状に工夫をした構体もある。「いちゼロ系ヤケクソ派」に対する、現実的な解とは、そういうものである。

「いちゼロ系ヤケクソ派」が跳梁跋扈すると、右に左に大きく振れすぎて、ロクなことにならないのではあるまいか。ことに安全保障問題でそれをやるのはまずい。

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