Opinion : 自分で判断すべきことは自分で判断する (2017/10/16)
 

なんでも、最近、歩行者や自転車が高速道路に間違って進入する事案が増えているんだそうである。そしてその原因は、スマートフォン用の道案内アプリにあるんじゃないか、という話だそうだ。

設定を間違えて「自動車用」にしていたから高速道路のランプに誘導してしまったとか、そもそもバグがあって歩行者を高速道路のランプに誘導してしまったとか。

それで国土交通省と警察庁が、ソフトウェアの開発元に改善を求めた、というのだけど。でも、それってなんか「違う」ような気がする。


これから進入しようとしている場所が高速道路のランプなのかどうかは、見れば分かる。そして歩行者や自転車が高速道路に入れないのは先刻承知の話。そこでナビの誘導に従って高速道路に入ってしまう方がどうかしている。

これが、一方通行を見落としたとか、U ターン禁止を見落としたとかいうのであれば、まだ分かる。でも、高速道路のランプなんていったら、物理的に構造が違うのだから、「ここから先は高速道路」だと、見て分かりそうなもんだけれど。

とどのつまり、これって「自分で判断すべきところで判断をナビに投げてしまっている」ところに、問題の根本があるのでは ?

「ナビはこういっているけれども、そこは入ってはいけない場所だろう」と自分で判断できないのでは、はっきりいって危険。そもそも、いつでもどこでもナビが使える・頼りになるという保証はないのだし。

そういえば、GPS ロガーが瞬間的に青森県からサハラ砂漠の真ん中にすっ飛ぶログを出してきたことがあるけれど、どうしてあんなスットコドッコイな結果になったのか、未だに謎である。

実際に使ってみれば分かるけれども、カーナビって万能でも完璧でもない。たとえば、VICS が嘘っぱちの渋滞情報を流してきたせいで、ナビがそれに釣られてトンでもない裏道に連れ込んでくれたことは、一度ならずある。

過去の職歴・経験が影響しているのかも知れないけれど、ナビの動作を見ているうちに「ははあ、これはこういうロジックで動いているな」という見極めがついてくることがあって、それができれば信じていいかどうかの判断材料になる。

そんな経験を重ねるうちに、「ナビを信じていい場面」と「ナビを無視した方がいい場面」の見極めがつくようになってくる。それは自分の「経験に基づく判断」というやつである。

そこまでやれとはいえないにしても、何も考えずに「ナビがこっちに行けといってきたのだから正しい、そっちに行く」となってしまうのは、いささか危険ではあるまいか。判断能力の喪失である。


そういえば。選挙があるとあちこちで「あなたの政治的立ち位置はこれこれです」と診断する Web サイトが出現したり、話題になったりする。以前は面白がってやってみたけれど、最近はやらなくなった。

もちろん、あれこれ考慮・検討した上で設問やロジックを組み立てているのだろうけれど、あくまで開発者が考えて、用意した設問やロジックに基づいて判断していることに変わりはない。だから、常に的確な判断を出してくるとは限らない。

そこのところを承知した上で、出てきた結果に対して「自分の意識とはどうも違う」「自分の実感と合っている」と受け止めるのは、いい。でも、出てきた結果を万能視・絶対して真に受けてしまうようになったら、それは危険じゃないだろうか。

なぜかといえば、それは本来は自分がなすべき判断を、「診断サイト」とそれの開発者に投げてしまっていることになるから。そこでもやはり、主体的な判断を放棄していることになりかねない。

そこで「診断サイト」の結果を真に受けて「実は、自分はこうなんだ」と思う人が増えてきたら、どうなるか。ひょっとすると、世論操作を目的として、意図的に歪んだ結果・恣意的な結果を出す「診断サイト」を立ち上げる輩が出てこないとも限らない。

世間一般に思われるところとは違うけれども、それだって一種のサイバー攻撃、サイバー心理戦である。これを読んで「まさかあ (笑)」となっている人が、たぶん、ひっかかる。

つまり、自分で判断しないといけない場所や場面があるということを忘れて、コンピュータ万能、ネットサービス万能という考え方に陥るのは危ないんじゃないの。というまとめ方をしたところで、今回はこの辺で。

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