Opinion : クレームが世の中をおかしくしているのでは (2017/11/6)
 

最近だと「茶髪禁止の学校」、しばらく前だと「ブラック企業」などなど、そのときどきで「槍玉に挙げられる何か」がいる。

そういえば、しばらく前に被害担当艦 (?) になってしまったバニラエアと車椅子の一件、すでにきれいさっぱり忘れ去られた感があるなぁ。

マスコミにしろネット住人にしろ市民運動家にしろ、手を変え品を変えしながら、「いつも何かを叩いている」感があるのだけど。どうせ叩くならドラムを叩く方が楽しいよ。と、そういう話ではなくて。


学校に妙ちきりんな規則がある、というのは今に始まった話ではなくて、数十年前から (いや、もっと前からか) 続いている話。たまたま「茶髪禁止」の一件で可視化されたけれども、実は日常的な話でもある。

無論、例の「茶髪禁止」の学校の対応は怪しからんと思うけれども、その学校の対応だけぶっ叩く論調を見て、若干の違和感を感じたのも事実。

学校にしろ会社にしろ、妙な規則があるのはたいてい、そうなるきっかけが何かあったからではないか。個人的な口癖で「『やるな』というのは『やる』奴がいるから」というのがある。

件の「茶髪禁止」の場合、校長や教頭やその他の教員の趣味でそうなった、というなら、そこだけ叩けば済む。しかし、茶髪の生徒がいると外部からクレームがつくとか、茶髪の生徒がいると学校の評判が下がるとかいう話になると、事情は違うのでは。

つまり、そういう外的要因から取り除かないと、根本的な解決にならない。

困ったことに、世の中には「あちこちにクレームをつけて回っては、正義の味方ごっこをする人」がいる。という話は少し前にも書いたような気がするけど、繰り返しになってしまっていたらゴメン。

クレームを受けた側としては、とりあえず降りかかってきた火の粉をどうにかしないといけないから、相手が納得してお引き取りするような対応をとらざるを得ない。なにせ「ま、ま、ここはひとつ穏便に…」の国である。

その結果として、妙ちきりんな制約や規則や条例や法律が増えて、「コンプライアンス」のために余計な人手とコストと手間をかける必要に迫られて、世の中がどんどん窮屈になる。

「災害派遣に行った自衛隊の人が赤飯を食っていたのが怪しからん」なんていうのは、「正義の味方ごっこのためのクレーム」の典型例。戦闘糧食のメニューのひとつに赤飯が含まれていたというだけの話で、それ以上の話でもそれ以下の話でもないのに。

もっとも、「クレームがあれば対策もあり」なところがある。「見た目は赤飯に見えないけど、食べると赤飯と同じ」という新手の糧食を開発した会社があったのには仰天した。


もちろん、すべてのクレームが「正義の味方ごっこのためのクレーム」とは限らない。ただ、クレームを受けた際に「これは本物か、贋物か」を見極めて、後者だと思ったら毅然としてお引き取り願う、ということも必要じゃないかと思うことがある。

「ここはひとつ穏便に」の精神で、何でも唯々諾々として従っていたら、そのうち身動きがとれなくなってしまうよ ?

これは面と向かってのクレームに限らず、「ネット上での叩き」にもいえること。だいたい、「ネットの噂も 75 時間」というぐらいのもので、すぐに飽きて新しいネタに行ってしまうことが多いのである。クレーマーは飽きっぽくもある。

ただ、そのクレーマーが引き起こした制約だけはずっと残ってしまう。いいのか、それで。

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