Opinion : 極論/煽り/イケイケ vs 落ち着き/粘り腰 (2017/11/20)
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「極論に走ってはアカン」「厭世的無常観に逃げ込んではアカン」ということは、以前から何回も書いてきているけれど。現実問題として、世に極論の種は尽きまじ。
「A 国にないものを B 国が持っているから脅威だー」「C 国は D 国よりも進んでる !」「E という製品が登場したことで、それまで主流だった F という製品はもう終わりだ !」とかナントカカントカ。
そりゃまあ、極端な話の方が刺激的ではある。だから、Web 媒体なら PV を稼ぎやすいし、SNS なら拡散されやすい。紙媒体なら部数が出る。だからついつい「極端な話」「イケイケドンドンな話」「もう駄目だ話」の誘惑に釣られる。
でもねえ。
ウェポン システムの話を例にとると。
どんなウェポン システムにしても、まず運用構想や作戦構想が先にあるべき。その上で、それを実現するツールがあるかどうか。ツールが存在しなければ実現しなければならないけど、そのためにはどういう技術が必要か、という流れになるのが筋。
だから、ウェポン システム、あるいはそれを構成する個々の要素技術だけ見ていては駄目で、そのウェポン システムを通じて実現しようとしている運用構想や作戦構想を見ないといけない。そして最終的に、その運用構想や作戦構想が、いかなる脅威を及ぼすのか、という話に行き着く。本当に脅威になるかも知れないのは、そっち。
たとえばレールガン。はるか彼方から極超音速で飛翔体が飛んでくる。とだけいわれると「そりゃ大変だ、脅威だ !」という反応になりそう。実際には、はるか彼方の目標を精確に捕捉するターゲティング手段がなければ始まらないのだけど、そういう話は忘れられる。
そして、ターゲティングの手段や飛び道具を組み合わせて、どんな場面で何をしようとしているんですか、というところが最大の問題点なんだけど、その「何をしようとしているんですか」がすっ飛んでしまう。「夢みたいな技術でスゴイ」というところだけ見てしまう。
逆に、「何を使って」「何をしようとしているんですか」の話はあるけれども、それの実現可能性に関する話がすっぽ抜けることもある。イギリスでニュース種になった「ドローンで潜水艦を云々」の一件がそれ。
身も蓋もないことをいってしまえば、これは「ドローン バブル」の一典型。有人プラットフォームであの手この手を尽くしても、潜水艦を探して追い詰めるのに苦労しているのに、安価な無人ヴィークルを大量にばらまけば ASW ができるという時点で安直すぎる。
その無人ヴィークルを大量にばらまく手段はどうするのか、よしんば発見できたとしても、その後にどうやって叩くのか。連続的な捕捉・追尾は実現できるのか。そこのところの技術的な実現可能性まで考えないと。
なんだけれども、「ドローン」という万能感のある流行り言葉 (それがいつまで続くか分からんけど) が使われているから、受け手は悪い方向に夢を見て「そりゃ大変だ !」となってしまう。
駆り立てる手段ではなくて、寄りつかせないための手段にするというなら、まだしも現実味はあると思う。でも、それは自国に向かってくる SS/SSN を相手にする場合の A2AD 的な話で、敵国の自国近隣海域に張り付いている SSBN じゃない。
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よくよく考えると、我が国の「北朝鮮の弾道ミサイルが脅威だから、敵基地攻撃能力を云々」だって同じ。いつもいっていることだけれど、飛び道具がどうにかなったとしても、ターゲティングどうするの。
とどのつまり、極論やイケイケ論に煽られてばかりいると、落ち着いて現実的な対処を考えられなくなるんじゃなかろうか。そこで落ち着いた現実的な対処ができないと、現状と目標の間を結ぶロードマップも、現実的に取り得る対抗手段に関する考察も、できなくなる。
その結果として「あっちが持ってるものは、こっちにもないと駄目だ」「既存のものはもうみんな駄目だ」という類の短絡的な論に走ってしまう。「もう、どうにもならない」とあっさり希望を失うと、厭世的無常観の世界に逃げ込んでうずくまり、思考停止してしまう。
もうちょっと、一歩離れて落ち着いて粘り腰で対処しないと、まずいんじゃないかなあ。こういう調子だと、心理戦や宣伝戦に簡単にひっかかるんじゃなかろうか。昨今、フェイク ニュースがニュース種になっているからいうわけではないけど。
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