Opinion : ホットとクール (2018/3/19)
 

「仕事は生活の糧を得る手段、稼ぐための手段」と割り切っている人は少なくないと思われる。というか、そちらの方が多数派かも知れない。しかし仕事の内容によっては、単純に割り切っていいんだろうか、と思えるものもありそう。

では、自分の場合にはどうか。お仕事のオファーがあったときに、「自信満々でやれる仕事」「難しそうだけど、頑張ればやれそうな仕事」「ちょっと自分には無理そうな仕事」に分けることにしている。

そして「ちょっと自分には無理そうな仕事」の場合、出來の悪い仕事をして先方に迷惑をかけるのは本意ではないから、正直に説明して降りる。

では、他の二者の場合はどうか。「稼ぐ手段」と割り切るだけでなく、ある種のパッションのようなものがある方が、いいアウトプットにつながっているように思える。ときには、「これこそは自分にやらせろぉぉぉぉ」と思える案件もある。


もちろん、仕事としてやっているのだから、「やり甲斐・生き甲斐を感じられるのだから、タダ働きでもいいよね ?」なんていわれたら、断固として不同意である。

そして、これも当然のことではあるけれども、パッションが感じられるかどうか、それの多寡がどうかということに関係なく、手は抜かない。ちゃんと満たすべき水準のアウトプットは目指しているつもり。

ただ、ブツができて送り出した後で、「終わったー」だけなのか、「終わったー、楽しかったー」となるかは、場合による。後者はもちろん、「ある種のパッションのようなものがある」案件。

そういう仕事があるから、この仕事を続けていられる部分はあると思われる。何かを作り出す仕事、生み出す仕事って、モチベーションがなくなったらアウトだから。

本人はそう思っていないし、たぶん端から見ても同じだろうけれど、自分はいわゆる「熱血漢」という柄ではない。でも、冷血人間かというと、そういうわけでもないつもりでいる (平熱は低いけど)。中の方で静かに炎を燃やしている状態 ?


ただし難しいのは、モチベーションとしての炎を燃やす一方で、あくまでクールに、第三者的視点を保たないといけない部分もあるということ。ときおり「個人的思い入れは仕事の邪魔」なんてことをいうことがあるのは、それ。

つまり、個人的な思い入れが「偏愛」「盲愛」の領域に達してしまい、それがそのままアウトプットに影響するようになってはアカン、ということ。個人的思い入れがある対象であっても、ダメなものはダメ。個人的思い入れが薄くても、良いものは良い。

個人の趣味で書いている blog なんかだったら、そんなことを考える必要はないと思われる。書きたいことを書きたいように書けばいい。でも、仕事でやる場合には、パッションを持って取り組む一方で、クールな部分も維持していないと、アウトプットのバランスが崩れると思う。

してみると、何か「良くないこと」「気に入らないこと」に直面したときに、ひたすら罵倒に終始してしまったり、言葉の選び方が悪くなったりするのは、その「クールな部分」を欠いているということなのかもしれない。

そして「我こそは正義なり」となると、「自分が気に入らないものは一刻も早く消し去ってしまいたい」とか「良くないことは一刻も早く是正されなければならない」という一念で突っ走って、往々にして暴走する。

仕事でも、仕事以外の分野でも、何か問題を解決しようと思うときには、「ホット」な部分と「クール」な部分のバランスが大事なんじゃないだろうか。クールな部分を残しておかないと、適切な判断ができなくなる。

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