Opinion : 一度手に入れたものは手放せない (2018/4/2)
 

平昌五輪の頃からこちら、朝鮮半島情勢をめぐる雪解けムードを盛り上げるかのごときニュースが出てきている。中には、「北朝鮮が核兵器を放棄するかも ?」という内容のものも。

もっとも、平壌がそう明言したものばかりではなくて「伝聞情報」に類するものも多いので、中には「希望的観測」に基づくバイアスがかかっているものも、含まれていそうではある。

なんて猜疑心の塊みたいになってしまうのは、雪解けムードが演出されては卓袱台がひっくり返されてきた、過去の経緯ゆえ。この件に限らず、裏切られた経験が染みついていると、「信用しろ」といわれても容易には信用できないというもの。

自分にとっての国税庁みたいなもんである - ちなみにモリカケとは関係ない。


そもそも人間、一般的な傾向として、「いま手にしているモノは手放したくない」という心理が働くものではないか。それが必要不可欠という思い入れが強いモノ、さんざ苦労して手に入れたモノならなおのこと。

そして北朝鮮にとっての核兵器といえば、「必要不可欠という思い入れが強いモノ」である上に「さんざ苦労して手に入れたモノ」でもある。それを、あっさりと「もう要りません」なんて諦められると思うか ?

核兵器放棄云々のニュースにしても、よくよく見ると、具体的な数字で示した前提条件が出ているわけではない。いざとなったら「アメリカ側の誠意が足りない」とか「放棄のための前提条件が満たされていない」とかなんとか理屈をこねて現状維持、というオチではないかと思ってしまう。

過去に核兵器を諦めさせた事例、放棄させた事例がないわけではないけれども、たとえば南アフリカの場合、体制変換の話がワンセットになっていた、といえるのではないか。

つまり「核兵器を手放すことに拠るリスクよりも、核兵器を持ち続けることのリスクの方が大きい」と納得させられたから、放棄に至ったと。でも、北朝鮮にしろ、その親分の中国にしろ、体制変換は「あってはならないこと」の筆頭。

といった具合に考えると、当節の雪解けムード・楽観ムードは、そのうちコロリとひっくり返されるんじゃないの、という悲観論から簡単には抜けられないというのが正直なところ。


コロリと話は変わって。

ちょうど今朝、Google の URL 短縮サービスが終了になるという話が伝わってきた。

ま た か !

以前に Google Reader の打ち切りで代案探しに苦労した経験の再来。その Google Reader の打ち切り経験から、「オンライン サービスはどうも信用ならん」「オンライン サービスはいつか無くなるものと思え」という考えがある。

手元で動作するソフトウェアだったら、いったん使用権を購入したものは使い続けることができる。まあ、オペレーティング システムのバージョンアップで使えなくなるリスクというものはあるけれど、Microsoft はどこかの会社と違って、後方互換性には比較的こだわるから。

でも、オンライン サービスの生死は運営側次第だし、それが消滅したら途端に使えなくなる。ところが、ついつい「いま手にしているモノはずっとある」と思ってしまうから、それがなくなった場合のことって、なかなか考えられない、あるいは考えようとしないものかも知れない。

一昨日に三江線の廃止があって、沿線は大騒ぎだったようだけど、ローカル線問題の根底にも、この「いまあるモノは手放したくない」「いまあるモノはずっとあると思ってしまう心理」があるのかなぁ、なんてことを、ふと考えた。

「いつまでも、あると思うな親とカネ」なんてことをいうけれど、実は、どんな物事にも共通する原則で、維持の努力やなくなったときへの備えは必要なのだろうなぁ。

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