Opinion : いまどきの学校って過ごしにくく見える (2018/5/21)
 

しばらく前に「学校裏サイト」とやらがマスコミを賑わせていたと思ったら、最近では「スクールカースト」なんて言葉があるそうで。さらには「クルマで送迎するときに敷地内に入れるのは高級外車だけ」とかなんとか。

どこまで本当なのか知らないけれど、事実なら「アホか」。

そういえば、以前に「LINE を使ってどうのこうの」という話がマスコミ種になっていたこともあったっけか。LINE 使ってないし、詳しいことはよく知らないけど。

この手の話がどこまで本当で、どこまで広まっているのかを知る術はないけれども、この手の話が新聞種・テレビ種になることが、却って拡散させる結果になっていやしないかと思う。

当事者が「いや、拡散させる意図なんてない。こういう (話題 | 問題) があるんだと紹介しているだけだ」といっても、見た側がどう受け止めて、どう対応するかは別問題。


こういう話を列挙してみると、「いまどきの学校って過ごしにくそうだなあ」と思ってしまう。それが原因で子作り・子育てを躊躇するところまで話が進んでしまう人がいるかとなると、それはなんともいえないけれど。

ただ、自分がこれから子育てをしようという立場に置かれていたら、不安感が大きく先行するだろうなあ、とは思った。実際には独身故、関係ない話だけど。

じゃあ、昔の学校が牧歌的で平和で和気藹々だったのか、というと… 断じてそんなことはない。昔は昔なりにいろいろ問題を抱えていた。

ただ、自分が小・中・高校に通っていた三十数年前というのは、スマートフォンどころか携帯電話もない時代。コンピュータ ネットワークなんていうのは、ごくごく限られた人たちだけのものだった。

で、小学生のときには「何かあったら家に連絡を取れるように」ということで、10 円玉をひとつ持たされていた。それで公衆電話をかけるのである (同じ市内だから 10 円で 3 分しゃべれる)。

そういう時代に幼少期を過ごした身からすると、今の学校に通う児童・生徒の方が、いろいろ便利なツールが普及した一方で、それに起因する面倒も増えてるんじゃないか、という印象は拭えない。

これはあくまで個人の感想だけれど、同じぐらいの年代の皆さん、どう思われるだろうか ?


学校あるいは子育ての現場では往々にして、何か問題の種、あるいはそこまで行かなくても面倒の種になりそうなモノや出来事や話があると、蓋をして見せないことにする対応がしばしば出てくる。

では、携帯電話もインターネットもコンピュータもみんな禁止して「学校に持って行っていいのは 10 円玉だけ」に戻せば解決するか。それはない。学校の中で規制できたとしても、家庭まで完璧に規制するのは無理な相談だし、そもそも学校を卒業すれば蓋はできなくなる。

それなら、どう折り合っていくか、どう付き合っていくかを早めに覚えてもらう方が、なんぼかマシというもの。

情報ツールの普及など、社会状況が変わってきている中で、どう対応して、折り合いをつけて、メリットを引き出す一方でデメリットを局限するか。その、妥当な落としどころを見つける社会的な学習過程が、まだ足りないんだと思う。

新しいモノやテクノロジーやサービスが出てくると、往々にして、この社会的な学習過程や落としどころの模索が必要になるし、情報通信技術も例外ではない。ところが学校教育の現場では、親や教員よりも子供たちの方が先を行ってしまい、善用する方法も悪用する方法も先行して考え出す。そういうことなんだと思う。

だから、これから「プログラミングの必修化」ということになると、きっと「プログラミングを使ったいじめ・いやがらせ」みたいな話が出てくるんじゃなかろうか。具体的にどんな、と訊かれると困るけれども。

もしもそんなことになれば、続いて「問題を解決するための銀の弾丸」を求める人が出て来て大声を上げる。でも、社会的な学習過程とか落としどころの模索とかいうのは、時間がかかるんである。銀の弾丸なんてない。

そこで無理して銀の弾丸を求めれば、単なる「臭いものには蓋」か「無意味な規制」で終わると思う。と将来予測をしたところで、今回はこの辺で。

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