Opinion : ニュースとの接し方 2018 (2018/5/28)
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先週、昨今の学校などにおける、スクールカーストがどうとか送迎のクルマがどうとかいう話を書いた。ところが。
よくよく考えてみると、この手の話が全国であまねく日常的に起きているんだろうか、という根源的な疑問に突き当たってしまった。だって、物珍しい話だからニュースになるのであって、日常的に起きている当たり前のことはニュースにならない。
このケースでは内容が問題だった。それもさることながら、まず「見出し」「タイトル」が要注意。もともと、自分が若い頃から、見出しやタイトルで刺激を追求する傾向はあり、新聞のラテ欄でワイドショーが居並ぶ時間帯なんか見ると「いったい、ビックリマークがいくつあるんだよ」と思っていた。
ところが近年、ますます状況が悪くなってきているように思える (注 : 個人の感想です)。皆が刺激的な見出しを並べて人目を引こうとすると、「刺激的」の天井がどんどん上がってしまう。
おまけに、「長い記事だと読んでもらえない」。特に Web 媒体の記事はそう。小難しい内容を論理立てて掘り下げて起承転結… なんてやっていたら、途中で読まれなくなる可能性は低くない。
となると、「刺激的な見出しをつけて人目を引いて」「パッと簡潔に短くまとめて」「分かりやすいビジュアルをつけて勝負する」という図式になりがちなんじゃないだろうか。
そんなことを考えると、先日にあった韓国と北朝鮮の首脳会談。実際にどんな話をしたとかいう話は措いておいて、南北双方のトップが抱き合うビジュアルが出回れば、それだけでもう「朝鮮半島に平和がやってくる !」と大喜びする人は続発しそう。
実際のところ、「非核化」という言葉の解釈や、それをどう実現・検証するかというプロセスの部分は問題山積なのだけど。でも、そこまできちんと掘り下げて解説しても、どれだけ読んでもらえるか。
にもかかわらず、「朝鮮半島に平和がやってくる !」と思わせようとして、あの画を演出してばらまいたのだとすれば、なかなかの策士である。誰がいいだしたのか知らんけど。
「平和こそ至上、戦争をしないことこそ至上」と考えている人にしてみれば、和平ムードが盛り上がるのは無条件に良いことであり、そこに水を差すようなことをいう慎重論は「平和の敵である」なんてことになりはしないか。
でもねえ。これまでにどれだけ「後で瓦解して糠喜びに終わった和平合意」があったことか。
「敵」という言葉を使ったけれど。先に書いた「パッと簡潔に短くまとめて」が、実は曲者。とにかく、簡潔に短くまとめようとすると、物事を「善玉」と「悪玉」に分けて「悪玉は怪しからん、悪玉が消えれば万事解決」という方向に持っていくのが、いちばん安直かつ分かりやすい。でも、そんな簡単に問題が解決すれば世話はない。
確か、以前にも似たようなことを書いたような気がするけれど、「大変だ !」「ひどい !」「怪しからん !」「素晴らしい !」といった感情を刺激するようなニュース。正確にいうと、そういう感情を刺激するように演出されたニュースほど、「ちょっと待てよ」と一歩引いて対応する方がいいように思える。
あと、「第一報で一喜一憂しない」「第一報で全部分かったような気にならない」というのもある、と繰り返しておきたい。特に事故の第一報なんていうのはそれで、第一報の段階で原因に言及していたら、スルーしてよろし。
といったところで脱線。
ときどき、民航機が墜ちると、途端に当該エアラインのトップあたりが出てきて「原因はこれこれではないか」なんて発言をすることがある。でも、それってたいていハズレだし、そもそもの狙いは「うちは悪くない」という責任逃れじゃなかろうか。
後になって馬脚を現すのが明白なのに、なんでそんなことをするかなあと思う。
そういえば。先日に届いた JDW に「米英仏が実施したシリア向けの巡航ミサイル攻撃に際して、ロシア製 SAM がこーんなに巡航ミサイルを叩き落とした」とロシアが発表した、という記事が載っていた。真偽のほどはともかく、こういう発表をすれば、ツボを突かれて釣られる人はいるだろうな。
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