Opinion : 事故も災害も利用してしまう人々 (2018/7/9)
 

地震でも水害でも凶悪犯罪でもテロでも、とにかく「世間の耳目を引きつける大事件」が起きたときに、人間性や識見の有無が出る。

…あっ、いきなり結論を書いてしまった。これで終わりにしようか。というのもどうかと思うので、もうちょっと書かせてください。


なんで冒頭で書いたようなことが起きるかといえば、「自分が (嫌いな | 敵対している) 個人や組織やモノを叩きたい」という欲求が根底にあるからだと思っている。

ただ、単に叩くだけでは味方が増えない。で、叩くための手段として「災害や事件の被害者に寄り添っている」という形を作れば、同意や賛同を得やすいんじゃないか。結果として目的の達成につなげられるんじゃないか。

と、そんなところなのではないかなあという仮説を立ててみた。

ところが実際のところ、「単なるこじつけ」だったり「論旨の飛躍」だったり「論旨になっていない」だったりして、ただのデムパ発言で終わってしまうことが間々ある。もとい、そうなることの方が多そう。

結局、目的が先にデンと座っていて、それをもっともらしく見せるためのツールを希求してばかりいると、そういうことになる。結果として、人間性や識見が疑われるだけで終わってしまう。

もっとも、これは「逆もまた真なり」で、「自分が (贔屓している | シンパシーを感じている | 敵対している誰かさんが敵対している) 個人や組織やモノなどを持ち上げたい」という場合にも同じことが起こり得る。

こちらもまた、実際にやらかせば人間性や識見が疑われる。どっちにしても、まずは自分がこの種の罠にはまり込まないように気をつけないと。少なくとも、仕事で書くものについては、一方的な礼賛にも叩きにもならないように注意しているつもりだけど、つもりだけということもあり得るし。


で。人間性や識見を疑われるというだけでなく、そもそも「戦機」を読めないんじゃないの、という話にもなる。以前に書いた話ともかぶるけれど。

つまり。常に叩いていないと耐えられない。だから、常に叩きのためのお題目を探しているということになる。でも、効果の有無やレベルの高低に関係なく、使えそうなお題目があれば叩くということばかりしていると、そのうち「ああ、またやっとる」で終わるようになる。

むしろ、普段は「こいつ、本当に○○に反対してるんか ?」と疑われるぐらい大人しくしていても、決定的な材料を掴んだ途端にむくりと起き上がって、手持ちの全火力を持って集中砲火を浴びせるという方が、却って打撃は大きいんじゃないかしらん。

「敵が一発撃ってきたら、手持ちの全火力をもって反撃する」がモットーであっても、「即時反撃」とは限らない。ちゃんと火力が揃い、撃ち込むべき場所を正確に見定めた上で撃ち込まないと、効力射にならない。戦力の逐次投入はよくない。

そういう問題か ?

世間の耳目を集めるような事件や災害を、手当たり次第に「叩き」の材料にこじつけてばかり、というのでは、効力射からは程遠い。もっとも、相手を叩き潰すのが目的ではなくて、叩き続けること自体が目的だというなら、相手が倒れちゃっては困るのかもしれませんがネ。

ちょうど、「○○は危険だからハンターイ」と主張することが結果として、「○○は危険でなければならない」に変質してしまい、危険を取り除くというお題目とは真逆の方向に行ってしまうように。

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