Opinion : 苦しんだ方が評価される、はおかしくないか (2018/7/16)
 

東日本大震災のときには、寒い中、津波で水浸し。今回の西日本水害では暑い中、泥水で水浸し。御嶽山の噴火では火山灰でドロドロ。そんな過酷な環境下で災害派遣の任に就くのだから、自衛隊にしろ警察・消防にしろ、大変な仕事。

自衛隊の駐屯地でちょいと走らされただけで音を上げた「虚弱体質」の身からすると、ほんと頭が下がる。

ただねえ。一日・二日ならともかく、何日も、あるいは何週間も任に就くとなると、ちゃんと食うものを食って睡眠をとって、身体を清潔にしていないと壊れちゃうよ ? と心配になる。

たまたま戦闘糧食にそういうメニューがあったから赤飯を食う場面も出てくるわけだけと、そこにイチャモンをつける人がいるのが信じられない。おかげで「見た目は普通の豆ご飯だけど、食べると赤飯みたい」という品物を開発するメーカーが現れた。その企業努力はすごいけれども、背景事情があまりにもアレ。

とどのつまり、無責任な外野が求めているのは「我が身を犠牲にして、過酷な環境の中に身を置きながら任務に就く姿」であって、ちゃんと食事も睡眠もとっているのでは、その願望がぶち壊されるから嫌なんだろうな。

ちゃんと食事も睡眠もとっている方が、結果としてパフォーマンスが上がる。そういう考え方はないらしい。ほんと、「泥水すすり草を食み」の時代から進歩してない。


この「苦しみながら何かをする方がえらい」という風潮、よくよく考えるといろいろな場面に出てくる。

最近はあまりいわれなくなったけれど、その昔の鉄道撮影業界もそんなところがあって、「大きな機材を担いで延々と歩いて、それでようやく撮影地にたどり着いてこそ価値がある」みたいな風潮があったらしい。撮影地に着くまでの艱難辛苦も撮影のうち、というわけ。

学校の勉強も、同じことを同じように身につけられるのであれば、楽しく学べるに越したことはない (実際には、なかなかそうも行かないけど)。でも、苦労してガリガリと勉強する方がえらい、という風潮はないだろうか。

あれこれいわれつつも変わらない「夏の高校野球」もしかり。もちろん、夏休みの最中にやる方が、出場する選手もスタンドの応援団も授業をつぶさずに済む、というメリットはあるけれど、たぶんそれは本筋ではない。

つまり「炎天下で汗まみれ・泥まみれになりながら優勝を目指す選手」とか「スタンドで汗を散らして、その選手を炎天下で応援する生徒たち」とかいう、「感動のストーリー」が欲しいんじゃないの ? と。

朝日新聞社が毎年出している (出してたよね ?)「夏の甲子園もの」の出版物を見れば、なんとなくそんな雰囲気が見て取れる。

「結果が同じなら苦しんだ方がえらい」ということになれば、残業や過重労働がなくならないはずである。無茶なシゴキの話が時折報じられる、学校の部活もしかり。

アウトプットが同じなら、より少ない手間と負担で迅速に片付けることこそ「働き方改革」である、という話は以前に書いた。けれども、それでは「苦しんだ」ことになりにくい。本当は、効率改善のための苦労をしている部分があるわけだけど、それを外野から見ると「苦しんでいる」ことにならない。

なんてことを考えていくと、災害の被災地で怒られながらも「被災者のコメント」をとるために突撃する共同通信の新人記者、なんて記事が世に出てくる理由も、なんとなくわかる。

だってそうでしょう。「歓迎されてコメントをもらってくる」よりも「怒られながらもコメントをもらうために奮闘する」姿の方が「苦しんでいる」わけだから。

「災害が起きたら被災者のコメントを取りに行くのが正しいテンプレである」だけでなく、「苦しみながら仕事をする方がえらいし、鍛えられる」という考え方が根底にある組織なら、ああいう記事を世に出すことに何の疑問も持たないんじゃなかろか。


「仕方なく辛い環境に身を置くことがあることもあるにしても、できるだけ快適にしているに越したことはない」 という話が出てくるのは、アンディ マクナブの「SAS 戦闘員」。快適といっても比較の問題で、ジャングルの中で寝るのに地べたに寝るか、A フレームに寝るか、という程度の違いであるにしても。

並みの人間とは比べものにならないぐらい鍛えられている SAS にして、そういう考えで動いている。もちろん、そうする方が結果としてパフォーマンスが出るから、である。

物事、「結果だけ」で評価するのがいいかどうかといえば、それはもちろん議論も疑問もある。でも、「過程でどれだけ苦しんだか」で評価するのは明らかにおかしい。

しつこいけれども、アウトプットが同じなら、できるだけ少ない負担で実現する方がえらい。まず、そこのところの意識改革から始めないと、災派の現場に無理を強いる状態が続いたり、仕事が辛い状態が続いたりするんじゃなかろうか。

と、ここまで書いて思い出したけれど、昔、海外でも似たような話があった。「ヒマラヤ登山で酸素補給装置を使うなんて怪しからん、邪道である」という一派があったそうである。これは「苦しんだ方がえらい」というより「自分の身体だけに頼るのが正しい」という理由だけど。

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