Opinion : 親の本棚と図書館は人をつくる (2018/8/13)
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しばらく前に、「図書館は無料貸本屋じゃねぇぞ」という趣旨のことを書いた。
それを書いている当の本人が、小学校から大学まで図書室・図書館通いを欠かさなかった人だし、今も仕事でちょいちょい国会図書館に行っている。
それは単に「手元にない資料がある」というだけでなく、「一般個人レベルでは手に入れられない、あるいは手に入れるのが困難な物件がある」という理由が大きい。
うちの場合、たまたま「親の本棚」で戦史書や鉄道誌の山ができていた。特に「これを読んでみろ」などといわれた記憶はないけれど、自分でなんとなく興味というか好奇心が芽生えて、勝手に読み始めた。
戦史書にしろ鉄道誌にしろ、特に「初心者に優しい」という種類のものではない (ゴメン)。だから、読んでいきなり、書いてあることがスッと頭に入ってきたかというと、それはなかったと思う。むしろ「なんだこれは」という場面の方が多かったかも。
ただ、いろいろ読み込んでみたり、自分で他の本などを当たってみたりすると、徐々に理解が深まってきて「ああ、そういうことだったのか」となる。そんなプロセスがすごく楽しかった。
大学に行くと、もう「親の本棚」にはなかった雑誌のバックナンバーまでゴソッと揃っていたし、ジェーン年鑑まで並んでいたから、もうパラダイス。講義がない時間、あるいは休講になって発生した空き時間は、大半を図書館で使っていた。
そういう経験の蓄積が今の自分のベースになっているわけで、「親の本棚と図書室・図書館に育てられた」のは間違いないと思っている。
最新の資料はまだしも入手性がいいけれど、古い資料になると、「すでに調達して保管してある場所」に行かないとどうにもならない。業界誌とか、メーカーさんの技報の類も同様。
今は、モノによってはオンラインで公開されている場合があるけれど、1980 年代には考えられなかった話である。
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自分が通っていた大学の図書館が「軍事系の物書きを育成しよう」と考えて蔵書を選んでいた、なんてことはあり得ないけれど、結果としてそういうことになった (しかも複数名いる) のは面白いところ。
そういえば、「世界の艦船」誌の存在を知ったのも大学の図書館だった。バックナンバーを少しずつ書庫から出してもらって全部読んだけれど、まさか当時、自分がそれの執筆陣に名を連ねる日が来るとは思わんかった (爆)
結果としてブーストしたのが大学の図書館であるのは間違いないけれど、最初のきっかけを作ったのが「親の本棚」なのは間違いない。面白いのは、特に押しつけがましいことを何もいわれず、本人 (自分) が勝手に興味を覚えて読み始めたこと。
小さい頃から乗り物好きの素養 (え ?) はあったにしても、そこから踏み出す (沼にはまる) 原因になったのは「親の本棚」。だから「親の本棚が人を作る (こともある)」とはいえるんじゃないかなあと。(ついでに書くと、写真好きは明らかに母方の血筋)
ただ、「親の本棚」がどういう内容でどれぐらい揃うかは、ほんと場合によりけり。そこのギャップを埋めてくれるのが、学校の図書館だったり公共図書館だったりすると思うわけ。
「単なる無料貸本屋じゃねぇぞ」という言い分の裏側には、そんな考えもあったりする。話題の本、流行り物の本だけ並べていても、それは一過性のモノで、それだけでは人は育たないと思うのだ。
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