Opinion : 嫌いなものが視界に入ることを拒否する人 (2018/8/27)
 

去年、シンガポールのチャンギ空港に行ったら、案内用のサインに日本語の標記 (確か「税関」だったと思う) があったので、少しビックリした。よくよく考えれば、シンガポールを訪れる日本人は多そうではある。

さらに遡ると 1990 年の秋。初の訪米で上陸した先は SFO。こっちが必死になって頭を英語モードにして行ったら、イミグレの係員にいきなり日本語で挨拶されてひっくり返った。

ともあれ、外国 (特に初めて行った先) で日本語に接すると、ちょっとホッとする部分はある。それに頼ってばかりいてもイカンけど。


さて。先日、「ゆりかもめ」の車内にある、各駅の駅名標示についているハングル標示に噛みついて、炎上した人がいたという。

これに限らず、駅の駅名標や発車標が「日本語 + 英語」どころか、さらに中国語やハングルを加えた四ヶ国語版になっているのは、よく見る光景。車内放送の自動放送も、日・英だけで終わらないことがある。

でもって、それに噛みついている人がいるのもお約束。一応、「外国語のために場所をとられる」とか「外国語を表示している時間が長いせいで、日本語の表示がなかなか見られない」とかなんとか、理屈を付けて。

でも、そういう手合を見て「ホンマかいな」と疑っていた。とどのつまり、場所とか表示時間とかいうのは名目で、要は「ハングル標記を見たくない」「中国語標記を見たくない」というあたりが本音なんじゃないのと。実際、そうらしいけれど。

こうなると、なんのことはない。「戦争につながりそうなものは見たくない」といって、自衛隊が迷彩服で街中をパレードするのに反対しているのと、根っこのところは同じである。

実のところ、日常生活でも SNS でも何でも、「気に入らないものは見たくない、自分の目の前から消えてもらいたい」というのは、よくある反応。大昔に、某環境保護団体について批判的なことを書いたら「(その種の投稿に対する) 発言抑止は当然」といってきた人がいて唖然とした。

現実問題、いろいろな考え方をする人がいるのだから、「見たくないものは目の前から消えろ」といっても完全には実現できない。Twitter だとミュート機能という便利なものがあるけれど、これとてキーワードかアカウントが単位だから、完全ではない。

自分もミュート機能は使う。ただし、自分の周囲には思想的にだいぶベクトルが違う方もいらっしゃるけれど、思想的に違うからというだけではミュートはしない。朝から晩まで口汚い罵倒ばかり続けていれば、それはさすがにミュートしたくもなるけど。


外国語表記の話についていえば、「逆に、自分が海外に行ったときのことを考えてみるべきではないか ?」に尽きる。それで、チャンギ空港の話を冒頭に持ってきたわけだけど。

ただまあ、標示に使うスペースや時間の配分、あるいはシーケンスについては、改良の余地はあるかも知れない。最近の LED 表示や液晶表示だと、昔と違って柔軟性は増していると思う。

だいたい、したたかさが足りない。外交的・政治的にはともかく、現に中韓から人は来るのだ。来るなら盛大におカネを落としていってもらおう、というぐらいのことをいえなくてどうするのと。

人のおつむの中身までどうこうすることはできないから、「あわよくば日本シンパになって帰って行ってもらおう」とまではいわない。だからといって、わざわざ悪い印象を与える理由もあるまいに。

これは実のところ、「国全体、あるいはその国の体制に対する好悪」と、「その国に住んでいる個人に対する好悪」を分けて考えるか、ゴッチャにするかという違いじゃなかろうか。

たとえばの話。習近平体制のやり方が気に入らないからといって (そういう話なら自分だって気に入らない)、近所のスーパーでレジ打ちのパートをしている中国系の人に八つ当たりするのはおかしい。

ただし、個人レベルで嫌われるようなこと、明らかに悪いことをすれば、それはそれで話が別である。

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