Opinion : 悪役にならずに勝つ (2019/1/28)
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「勝てば官軍」というし、確かにそれは一面の真理ではある。「歴史は勝者によって作られる」なんてこともいうし。
とはいうものの、勝ったとしても「勝ち方が良くない」せいで、後でぶっ叩かれるような場面も、ないとはいえないんじゃないかと。戦争だと、勝者が敗者を殲滅してしまったせいで「死人に口なし」となる可能性があるけれど、ビジネスや外交だと、話は違ってきそう。
そこでいきなり結論を書いてしまうと、「自分が後で悪役になってしまうような手を使うと、たとえ勝ったとしても、後でマズい結果になる」ということ。
裏を返せば、ただ単に勝てばいいのではなくて、相手が悪役になるような勝ち方をできるのであれば、その方が良いということ。そういう意味では、太平洋戦争はつくづく下手を打ったのではないかなあ、と思うことがある。
現実問題として「自分の主張は正しいのだから、その "正義の主張" のためなら何をやってもいい」という勘違いをしている人はいる。それで調子に乗って犯罪行為や違法行為にエスカレートしてしまい、司直の御厄介になる事例もある。
すると結局のところ、その主張が本当に正しいものであったとしても、主張した当人が主張した内容を道連れにして転落、ということになってしまう。どこの誰のこととはいいませんがね。
過去の歴史を振り返ってみると、最初は「弱者の味方」「強者に立ち向かう正義の味方」として持て囃されて、マスコミの寵児になっていた人や組織が、戦術ミスのせいで世間もマスコミも敵に回してしまって轟沈、なんて事例があった。
たとえば、報道の内容がちょっとでも自分らの意に沿わないと、いちいち噛みついてしまう。すると、噛みつかれる側としては当然ながら面白くないから、そのうち嫌になってしまって、応援するどころか叩く側に回ってしまう。
と、そんな事例が実際にあることを考えると。
対抗勢力の側としては、相手が暴発してくれるように仕向ける、という戦術を使える可能性が出てくる。つつくのでも、挑発するのでも、おだてるのでも、何でもいいけれど。
それで相手が暴発して、ムチャクチャやるようになって、誰が見ても「こいつは悪役だろう」と思えるような域に達してくれれば、しめたもの。結果として、こちらにとって有利なように物事が運ぶ可能性が出てくる。
といっても、そこで気を抜くとドンデン返し、なんてことになるやもしれず。
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ネット上でもミート スペースでも、誰かとバトルを展開する当事者になると、ついつい相手のことしか見えなくなって、いかにして相手を打ち負かすか、ぶちのめすか、ということしか考えられなくなってしまう。
でも、そこで一歩引いて「この状況を外部の第三者が見た場合に、どう映っているか」「そこでどう振る舞うのが正解か」ということも考えないと。自分は勝利のために全力投球しているつもりでも、傍から見ると「痛い人」ということもあり得るから。
そこで第三者の視点まで考慮に入れた戦術を立てて、相手を暴発させて悪役に追い込み、上手くいけば自滅させてしまう。そんな域に達したら、それこそ大勝利ではないのかなあ。
なんてことを考えた今日この頃。いえ、「どのニュースを見たせいで、そんなことを考えたのか」なんてことは、どうでもいいんですけどね。
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