Opinion : ちょっと肩の力を抜こうよ (2019/02/04)
 

だいぶ前に「正義の味方」を自称する人はタチが悪いなあ、という趣旨のことを書いた記憶がある。そんなことを書くと「自分こそは正義の味方である」と思ってまなじりを吊り上げている人は、ますますカッカなさるわけだけれど。

ただ、カッカなさるぐらいならまだしも、度が過ぎると、「この人、壊れてしまっているんじゃないか」あるいは「この人、壊れてしまいそうではないか ?」と思えるようになってくることもある。

正直な話、「ネットで世直し」「ネットで正義を実現」と息巻いて、まなじりを吊り上げている人の中で、「自分は目的を達成できたぞ」と思っている人、どれぐらいいるんだろう。

これのバリエーションで「ネットで○○に関する真実を広める」「ネットで○○に関する間違いを正す」と息巻くパターンもある。

ひょっとして、「いつか実現するかも知れない青い鳥」を追いかけ続けて、その過程で壊れてしまった、なんてことはないんだろうか。本人に「壊れた」という自覚はないのかも知れないけれど。


たとえば。何か事件のニュースに接したときに、瞬間湯沸かし器みたいになって「怪しから〜ん !!!」と吹き上がり、怒りにまかせて悪口雑言・罵詈雑言を連投する。そんなパターンを繰り返しているのを傍から見たら、どう見えるだろう。

先日にお題にした「韓国海軍の射撃管制レーダー照射事件」もひとつの典型で、この一件が火付け役になって「これを機会に韓国を叩いてやれ vs ここでネトウヨどもに負けてたまるか」の不毛な大バトルを引き起こしてしまった。

この件に限らず、事故とか事件とか戦争とかいうのは往々にして、後になって追加情報や追加イベントが出てきて、話の流れに影響するもの。すると、第一報だけで反応した後になって、的外れだったことが分かる、なんてことになりかねない。

ところが、熱くなるとそんなことまで考える余裕がなくなるから、白黒がハッキリしないところで不必要に攻撃的になったり、自分と違うモノの見方や意見を見つけては「こいつは潰さなければならない」と息巻いたり。

ネット世論とリアル世論の乖離を理解できずに「目の前の異論や異説やいかれた意見や反対意見を叩き潰し続ければ、いつかはリアル世論を制覇できる」とでも考えてしまうんだろうか。

ただ「正義の味方になって悪い奴らをやっつける」とか「自分が真実の伝道者になって間違いを正して回る」とかいう行為に、ある種の麻薬的な快感があるのは分かる。たぶん、やった当初はスカッとするし、ある種の高揚感もありそう。

ところが、万人が同じ意見を持っているわけではないから、どんな「正義」であれ、異論・反論・批判・クソリプの類は飛んでくる。それをしれっと受け流せればいいけれど、「自分が正義だ」と吹き上がっていると、それができない。

そして、なにせ麻薬だから、そのうち依存して抜けられなくなる。それだけでなく、ますます使用量 (?) が増えていって、頻度が上がったり過激さが増したりする。誰かを常に罵倒していないと、叩いていないとおさまらなくなる。

そこに諫言が来たり反対意見が来たりしても、モノの考え方ひとつで「今は虐げられたり認められなかったりしているけれど、いつかきっと自分の正しさが証明される」という高揚感に転換してしまうことがあるから恐ろしい。

困ったことに、その手の叩きバトルが起きるときには、往々にして相手も (思想的には真逆でもメンタリティで) 同類ということがあるので、そうなるともう収拾がつかない。物理的な意味ではなく比喩的な意味で、血で血を争うバトルになる。

そして最後はどうなるかといえば、行くところまで行っちゃったり壊れちゃったり、ということになりかねないわけ。


意見表明をするのはいいんだけど、もっと肩の力を抜いて、「自分はこう思うんだけど、どう ?」「自分はこう考えるけれども、どちらの主張を取るかは読み手に任せる」ぐらいのスタンスでいればいいのに、と。

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