Opinion : 20 周年 (2019/3/18)
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はたと気付いたら、ちょうどこの 3 月で、会社を辞めてフリー宣言してから 20 年が経過した。最初から成算があったとはいえなかった上に、死にそうな目に遭ったことも一度ならず。しかも途中で業種の変換までやっている。
それでもなんとか、ここまでやってこられたのは、お世話になった各社の皆さんと、そしてもちろん読者の皆さんのおかげ。感謝してます。
幸い、自分はいろいろな意味で恵まれていたので、ここまで無事にやってくることができた。でも、だからといって「みんなフリーでやろうよ !」と気楽にはいえないなあ、というのも偽らざる本音。
「死にそうな目に遭った」うちのひとつは病気が原因だけれど、これなんか自分の無理・無茶・不摂生が原因みたいなもんだから始末が悪い。なまじ「好き」を仕事にしてしまうと、ブレーキが効かなくなる。
だから、ここまで無事に仕事をやってこられたのも、生き延びてこられたのも、その背後で「運」に恵まれた部分は少なからずあったと思う。「死にそうな目に遭った」うちのもうひとつだって、運が悪ければ昇天間違いなしという状況だったし。
もちろん、「運」だけですべて片付けられるとも思っていない。自分なりの努力や工夫や売り出し、セルフ プロデュースにセルフ マーケティングは、やってきたつもり。そして、得意分野と業界の状況がうまいこと噛み合った部分もあるし。
ただ、これまでうまくやってきたからといって、今後も同じやり方でいけるかどうかは分からない。成功すれば、それはそれ。失敗すれば、それはそれ。毎回、リセットして新しい「勝利の公式」を模索していかないと。
それを忘れて、過去の「勝利の公式」にこだわり続けると、沈没の原因になると思う。企業でも国家でも軍隊でも、そんな話はたくさんある。いつ、どこにどんなゲーム チェンジャーが現れるか分かったもんじゃない。
ゲーム チェンジャーは突きつけられるものではなくて、こちらから突きつけるものでありたい。自分に残された時間が、あとどれだけあるか知らないけど。
この仕事をしていて楽しいと思うのは、普通ならできそうになかった経験をいろいろしたり、普通なら見られないような場所を見られたりすること。それがモチベーションを支える一助になってる。
「普通ならできそうになかった経験」というと、環球時報が勝手に自分の名前を使ってフェイクニュースを作りやがった、なんていうのもあるけれど、これは嬉しくない。
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たぶん、その極めつけは F-35A のロールアウト式典と、その前日の工場見学ということになるだろうけれど。あれはホント、一生もんだった。
この件の副産物は、「海外遠征のリミッターが外れたこと」。だんだんとタガが外れてきて、先日のオーストラリアみたいに「初めて訪れた国で、いきなりレンタカーを借りて走り回る」なんてマネもやるようになった。
以前は、外国に行くというと不安がいっぱいだったけれど、最近は不安が半分、楽観が半分、ぐらいまで変わってきたかも知れない。もちろん、以前にも書いているように、ただの根拠なき楽観ではなくて、入念な下調べとシミュレーションに基づいた楽観ではあるけれど。
最近は「ググってもノイズだらけ」という場面が少なくない。そうでなくても、やはりググっただけでは分からないことはいろいろあって、現場・現物を自分の目で見て、記録するに越したことはない。可能な限り、それをやっていくことが今後の仕事の糧になるだろうと思ってる。
…サファイアや JGC 達成のレベルまで海外に出まくるかどうかはわかんないけど。
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