Opinion : 同じ字面でもモノは違うことがある (2019/6/10)
 

シーサイドラインの金沢八景駅付近が少し延伸されたので、乗り直しに行かなければ… と思っていたら、新杉田で発生した逆走事故の関係でしばらく運行が止まり、再開後も所定に満たない本数での運転が続いている。

まだ最終的な調査報告書が出たわけではないので、ここで原因について云々することはしない (いつものお約束)。

ただ、通常の停止位置と車止めの間に 03 信号の添線みたいな仕掛けがあって、突っ込んできた車両は有無をいわさず止めるようになっていれば… とは思っているけれど。

今回、書こうと思っているのは、別のところの話。


ごく一部の例外を除いて、いわゆる新交通システムはみんな無人運転である。ATO と信号保安システム (ATC) がちゃんとしていて、全線が立体化されていて、ホームドアを設けてホームから人が入り込むようなこともない。

そういう条件が整っていれば、人やクルマが進路上に入り込んできて事故になる可能性は皆無に近い。それだからこそ、無人での自動運転が成立する。なにかまずい事態が起きたときの避難誘導という課題はあるけれど、それはまた別事件の問題。

ところが、たまたま「自動運転」がバスワード化しているせいなのか、この四文字 (8bytes) に反応して、クルマの自動運転とゴッチャにしたり、クルマの自動運転と比較したりしているスットコな人がいるらしい。

鉄道の場合、進路制御は外部からの分岐器の設定によって決まるし、ATO と ATC があるから、信号冒進も未然に防げる (今回の事故では、そこに落とし穴があったみたいだけど)。だから、運転操作は加速と減速しかない、一次元の操作になる。

ところがクルマの運転では、加速と減速に加えて操舵があって、二次元の操縦操作になる。もしも前方に障害物や人やクルマがいれば、回避するのは運転者の責任。その上、信号も見ていないといけない。信号を冒進しても強制的に止める仕掛けはない。

だから、自動車の自動運転の方がはるかにハードルが高いし、ややこしいシステムになるのは自明の理。それと鉄道の自動運転を比較して「鉄道の運転はレベルが低い」なんていうのは、不見識も甚だしい。

これが飛行機や潜水艦になると三次元の操縦操作になるけれど、自動化がいちばんやりにくいのは公道での自動車だろう、とは以前にもどこかで書いた通り。不確定要素が多く、判断しなければならない物事がやたらと多いから。

それは別に、どっちがえらいとかえらくないとかいう話ではない。もともとの構造やシステムが違うのだから、それを自動的にやろうとした場合の仕組みや、求められる条件も違う。それを無視して、「複雑精緻な仕掛けの方がえらい」なんて書くのは、ただの「複雑精緻な方がえらい」というだけのメカヲタク。


念のために書いておくと、なにもシーサイドラインのシステムが完全無欠だったなんていうつもりはない。実際、車止めに突っ込むのを阻止する仕掛けがなかったのであれば、それはどう見ても瑕疵。

ただ、「自動運転」という単語に釣られて、畑違いであるクルマの自動運転と一緒くたにするようなことをすれば、本当に重要な論点が忘れられてしまうんじゃないの、という危惧があって、それで今回の駄文に至った次第。

字面が同じでも、分野が違えば中身も違う、というのは、なにも自動運転に限らず、他の分野でも存在する話であるのだし。

それに、シーサイドラインみたいな事故を防ぐのであれば、先頭部に LIDAR を取り付けて障害物をセンシング… なんてマネをしなくても、先に書いたように、もっと実現しやすい方法はあるのでは。

まぁ、自動運転が流行りのバズワードだから、PV 稼ぎの観点からいっても、使ってみたかったのかも知れないけれど。

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