Opinion : 最適な反撃のタイミング (2019/7/1)
 

たぶん、戦略レベルよりも作戦・戦術レベルの話になるのだろうけれど。

攻撃を受けたときに、その場で反撃して相手を叩きのめしたり撃退したりできれば、それで一件落着。しかし、周辺状況やこちらの戦力の問題で、その場で有効な反撃ができない場合もある。

「とりあえず拙速を重んじて」、使える手持ち戦力を投入するのも一案ではある。しかし、それでケリがつかなければ、戦力の逐次投入になり、しかも逐次投入した戦力が個別に撃破されて総崩れ、なんてこともあり得る。

また、反撃はできるけれども、決定的なダメージを与えられるかどうかは怪しい、ということもありそう。それはそれで、一撃でケリをつけられずに、消耗戦になる可能性がある。やはり、十分な戦力と弾を揃えて、一気にケリをつけたい。


たぶん、戦争に限らず、ビジネスの現場や論戦の現場でも同じじゃないだろうか。自分は物書きだから論戦の現場についていえば、叩かれたときに「逐次反撃」するのか、それとも十分に材料やエビデンスを揃えた上で「一挙反撃」するのか。

その「一挙反撃」も、どういうタイミングでやるかという問題がある。弾が飛んできたときに、こちらの即応体制が整っていて、一挙にあらん限りの全火力 (?) を叩き込んで殲滅できれば、それはそれでよろしい。

でも、常にそれができるとは限らない。それに、どうせ勝つなら「ただ勝つ」のではなくて「圧倒的に勝って」相手を再起不能にしてしまえ、という考え方もあると思う。

そういえば、小説「レッド・ストーム作戦発動」の中で、ドイツ軍の指揮の下、進撃してきたソ聯軍の戦車に対してわざとドイツ軍が後退して、NATO 軍の戦車が左右に控えたポケット地帯に誘い込む場面があった。

するとどうなるかというと、十分に誘い込んだところで左右から集中砲火を浴びてボコボコにされる。「よし勝った !」と思い、調子に乗って進撃したところで脳天からガツンとやられることになる。

物理的にはともかく、精神的には、そういう反撃のされ方をする方がダメージが大きそう。

実は論戦にも似たような場面があり得るはず。とりあえず相手には、いいたい放題いわせておいて、調子に乗って、のぼせ上がってもらう。その一方で反撃の材料をしっかり揃えておいて、相手が勝った気になったところで「ドッカーン」。

たぶん、第一撃で反撃されるよりも、「これで勝った」と思ったところでいきなり四方八方からボコボコにされる方が、(特に精神的な意味で) ダメージがでかい。(ただ、Twitter という場はこういうやり方にトコトン不向きだと思う)

実のところ、これって結構な忍耐が要るので、こちら側も精神的に辛い部分はあるのだけど。「ああもう、ここでこれをぶっ放せれば」と思いつつ、踏みとどまらないといけない。でも、そこは「最後に笑えばいいんだから」と自分にいい聞かせて。

実のところ、「航空ファン」2019/7 号の拙稿は、そうやって逸る気持ちを抑えながら書いて、世に出したところがあった。


以前からしばしば「嫌いな○○のことばかり、朝から晩まで毎日のように叩いているのはどうなんだろう」と疑問を呈しているけれど、その背景にも、上のような考えがある。傍から見ていてもゲンナリするし、第一、戦力の逐次投入に他ならない。

普段は黙っているけれど、何か決定的な材料が出てきたところで一気にドカンとやる方が、同じ叩くにしても効果が違ってくると思うんだけど。

もっとも、その「決定的な材料」の見極めができない、というのはありそうな話ではある。毎日のように朝から晩まで「○○が怪しからん」「○○が嫌いだ」ばかりやっているのは、要するに我慢や忍耐や雌伏ができないのですな。

よくよく考えると、開発に難航したり試験・評価で問題がボロボロ出たりしているときの当事者も、似たような心境なのかも。その場でいい返したい気持ちをぐっと堪えて、問題解決に努力して。そして解決がなったところで「どうだ !」となるあたりが。

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