Opinion : 監視社会と利便性 (2019/11/4)
 

しばらく前に BS-TBS の番組に出たときに、「中国では顔認証で用が済む場面がいろいろある」という話が出てきた。いちいちカードを入れたりパスワードを入力したり現金を出したりする必要がないから楽だ、という触れ込み。

そしたら今度は最近になって、「中国ではパスポートを読み取らせるだけで列車に乗れて楽だ」という出羽守が現れた。あのさあ、自国内における外国人の動きを国家安全部が把握してトラッキングできる、というおっかなさは考えたことないの ?

日本国内で同じことをやろうとしたら「個人情報保護の観点からいって怪しからん !」という声があがるのは間違いないだろうけれど、なぜか中国でやると礼賛調の報道や投稿が目につくのが不思議。目につくだけで、絶対数を比較したわけではないけれど。

実際問題として、「国民総背番号制にハンターイ !」と気勢を上げている人達が、中国のああいう様を見てどう感じるのかは、なかなか興味深いものがある。なーんとなく、見なかったことにしそうではあるけれど。

もっともこれは、「他人事なら知ったことじゃないけど、我が身に降りかかってくるのは勘弁ね」ということで、国とかイデオロギーとかいうのとは別次元の問題なのかも知れない。

と、それはそれとして。


その BS-TBS の番組で、中国側の記者が「利便性の高さが評価されているので、国民の間では否定的な声はない」という趣旨の話をしていた。でもまあ、その記者さんというのは環球時報関連の媒体の方だそうだから、そもそも否定的なことをいうはずがないよね。

と、それはともかくとして。実際に否定的な声が少ないのだとしても、その理由は、「利便性」だけではないのかも知れない。

つまり「我が国はこんな世界最先端の仕掛けが動いているんだぞ」というプライドというか、自慢というか、ドヤ顔というか。そういう形でプライドをくすぐることで、「国がすべてを監視しているディストピア」の部分を隠蔽している側面もあるんじゃないかなあと。

どこの国でも「我が国がいちばん」と思いたくなる、あるいはそういう話に飛びつきたくなる傾向があるのは、たぶん同じ。その「いちばん」の対象を選定する場面で、立ち位置の違いは出てくるにしても。

ぶっちゃけ、「憲法九条を世界遺産に !」だって、「我が国がいちばん」の発露のひとつであることは否定できまい。


ただし、この手法。一見したところでは、うまいことディストピアを隠蔽して国民の不満を抑えられそうな手法に見えるが、困った前提条件がひとつありそう。

つまり、国民に対して常続的に「利便性」「プライド」「世界に誇る先進性」といったものを供給し続けなければならない。すると、かつて「バターも大砲も」と二兎を追った某国と似た状況に追い込まれる可能性がある。

そこのところで歯車が狂い、常続的に「利便性」「プライド」「世界に誇る先進性」といったものを供給できなくなったらどうするか。何でもそうだけど、いくらイケイケドンドンに見える個人や組織や国家でも、そのイケイケドンドンは永久には続かない。どこかで壁にぶつかる場面が出てくる。

そうなったときに、普通ならやらない手法、普通なら許容されない手法に訴えて、強引に問題を解決しようとする誘惑にかられることはないのか。あるいは、何らかの粉飾や欺瞞に走る誘惑に狩られる可能性はないのか。

企業経営の世界でも、多分あるでしょ。永続的な急成長、永続的な株価上昇の夢を売って勢いをつけたものの、それが破綻してガタガタになった事例。企業レベルでも大問題だけれど、それを国家レベルでやらかしたら、影響はでかい。

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