Opinion : 反・貧乏主義 (2019/11/25)
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「正規社員と非正規社員の格差を埋めるため、正規社員に支給していた手当を止めます」というニュース。
は ?
すでにさんざ突っ込まれてるようだけれど、なぜ、そこで「非正規社員の待遇を上げましょう」とならないのか。そりゃまあ、経営層からすれば「格差解消」というお題目の下で人件費の削減につなげられるわけだから、旨味はある。でも、果たしてそれだけの事情なのか。
だいたい、こういう肝心なところでちゃんと結果を出せず、別のところでばかり大声を上げている労働組合っていうのも、相当なヘタレだと思う。
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そういえばいつだったか、「みんなで貧乏になればいい」みたいなことを主張している著名人がいて、これまた叩かれていた。叩かれて当たり前である。だいたい、こういう無責任な主張をする人に限って、「自分は例外」だから。
ただ、そういう主張をするということは、それが広く… かどうかは分からないけれど、それなりに受け入れられる、という読みはあったのだろう。いいかえれば、「上を目指してみんなでリッチになろうとするよりも、足の引っ張り合いをやってみんなで墜ちよう」という方が好まれる素地があるということ。
だからこそ、与党の政治家あたりが値の張る物を食べていると知った途端に「怪しからん」と騒ぎ立てて、火をつけようとする野党の政治家が出てくる。「高いものを食べるのは悪、安いものを食べるのが正義であり、庶民感情に寄り添っているのだから支持されるはず」というロジックか。
あと、「○○はこんなに給料が高くて怪しからん」という類の話もあったか。それをさんざん展開して、足の引っ張り合いをやったら、どういう結果になったか。
そんな話をつらつらと並べていくと、その先には「モノを持たず、最低限のモノで慎ましやかに生きるのが正義で、リッチに、プレンティに暮らすのは悪だ」という発想が出てくる。
だから、以前に取り上げたことがある「ミニマリスト」みたいな人が出てきたり、それがマスコミで持ち上げられたりする。ただし、その「ミニマムな暮らし」は往々にして、他人に負担を丸投げしたフリーライダーというのが実情であろうけれど。
でも、そこで「清貧」という言葉を持ち出すのは、美辞麗句を使ったすり替えではなかろうか。「貧しくなりましょう主義者」は、経済成長に対する反感に起因するドカ貧主義者に他ならない。
アメリカに行くと、「この国、プレンティの度が過ぎやしねぇか」と思うことは間々ある。スーパーの棚に並んだ品物の量しかり、その品物のサイズしかり。食べ物屋に行って出てきたお料理の分量しかり。少食には辛い国である。
だからアメリカって極端だよなあと思うけれども、反対方向に振り切れすぎるのも違うだろう、というのが個人的な見解。何事も極端に振り切れてロクなことはない。
「みんなで貧乏になりましょう」よりも、「みんなでリッチになりましょう。でも、稼いだ人は相応に社会貢献してね」という方が、個人的には好き。ただ単に「金持ちは悪、"応分の負担" と題してふんだくれ」というのではなくてね。
そういえば。また違う種類の話だけれど、マスコミ、とりわけテレビ局って「激安」が大好きである。品物やサービスが激安になれば、それを生み出すためのコストが激安になって、回り回って給料が減らされたり雇用が海外に逃げ出したりする問題には目をつぶって。
これも、「激安」をフィーチャーすれば数字がとれる、という実情あるいは過去の経験則があってのことなのだろうけれど。でも、以前から書いているように「激安」というのは商売の劇薬。これに走ったら総崩れになりかねない諸刃の剣。
なんだけれど、一方で「激安」をフィーチャーしておいて、他方で「低所得で困っている人」を取り上げるという、見ようによっては矛盾の塊みたいなことが起きる。
「安さの追求」にしろ「みんなで貧乏になりましょう」にしろ、いってみれば縮小再生産のスパイラルにほかならない。高いものでも手に入れられるように皆でリッチになりましょう、では、そのためにどうすれば ? と考える方が、精神衛生上もいいと思うのだけれどなぁ。
ひょっとするとこれは、バブル崩壊の反動かなにかで、モノの考え方がマイナス方向に縮こまりきってしまい、羮に懲りて膾を液体ヘリウムで冷やしてしまっているということなんだろうか。でも、それだけではないような気がする。「ケチは正義」「金持ちは悪」という思想を持っている人が、少なからずいる。
では、それにどう対処するか。冒頭の話みたいに足を引っ張る方向に走るんじゃなくて、「過剰に縮こまらなくても大丈夫、皆でリッチになれるように、節約と貯めこみに走りすぎなくても大丈夫なように手を打ちます」というのが政治の仕事なのではなかろか。それをやらないと、「縮小主義者」の跳梁跋扈は抑えられない。
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