Opinion : 奇策は好き好んで使うもんじゃない (2020/1/27)
 

東京五輪がらみ、特に「暑さ対策」について、「どうしてこんな、珍無類で斜め上な対策ばかり考えるんだか」と、以前から思っていた。

根本的には真夏にやるのがいけないのだけど、いちばん多くの放映権料を出すアメリカのテレビ局の御都合で、真夏にやらないといけないらしい。「おカネを出す人に決定権がある」って、ケリー ジョンソンの黄金律かいな。

そんな中で、「ひょっとしてこの国では『正攻法で解決するのはダサい、奇策に走るのがイケている』と思ってる人が少なくないんじゃないか ? なんてことを考えてしまったので、今回はその話を。


いきなり身も蓋もないことを書いてしまうけれど、「正攻法」というのは面白みがない。確実性は高そうだけれど、読み物としては面白くない。しかし、会社なら出資者や社員、戦争なら国のトップにとっては、安心感がある。

ところが、読み物として盛り上がるのはどちらかといわれれば、断然、奇策である。だいたい、日本の歴史について書かれた本、とりわけ戦国時代あたりまでの合戦について書かれた、あれやこれやのことを思い出してみて欲しい。

たとえば「鵯越」がいい例だけれど。読み物として盛り上がるのは、やはり「他の誰もが思いつかなかったような奇策を考え出して、それを用いて寡をもって衆に勝った」話なのである。読み物としてはね。

第二次世界大戦の陸戦でも、読み物として盛り上がる典型例としては、1940 年 5 月に行われたドイツ軍のフランス侵攻がある。予想外のところから機械化部隊を突っ込ませて深々と楔を打ち込み、聯合軍を総崩れにさせた。

しかもその途中では、何回か「ヒヤリ」とさせられる場面があった。これは確かに盛り上がる要素が満載だといえる。読み手としてはたいへん面白いけれど、当事者の立場からするとどうだろう。

盛り上がるかどうかというのは結果であって、目的じゃない。目的は戦争に勝つことであって、そこでわざわざギャンブルに出る必要がないのなら、それに越したことはない。十分な兵力と物資を揃えて、自ら戦機を選んで主導権を握って、それで敵軍を粉砕できれば理想的。

似たような話で、フランス隊の「マカルー初登頂」が挙げられそう。ドラマチックな話があまりなくて、当事者にとっては「してやったり」。ポーター以外の、隊員全員が頂上を踏んだという希有な事例。

しかしそうなると、外部の野次馬からすると「面白くない」。帰国後に話を聞きに行った報道陣は、皆ガッカリ。でも、死屍累々の悲劇的登山になるよりも、はるかにいいと思うぞ…


身も蓋もないことを書いてしまえば、奇策というのは好き好んでやるものではなくて、追い込まれて、他に選択の余地がなくなって、それで仕方なくやるもの。

「寡をもって衆を制す」にしても同じことで、結果的にそうなるならともかく、最初からそれを目指すとか、それをよしとするとかいうのは、大間違いのこんこんちきである。「寡をもって衆を制す」を目指そうとすれば必然的に奇策に走らざるを得なくなるから、ギャンブルの度合が増す。

ギャンブルの度合が増すということは、思惑通りに行かなかったときにリカバリーが効かなくなり、より悲惨な結果になりかねないということ。社員の生活がかかっている事業の現場で、あるいは国運がかかっている戦争の現場で、それをやっちゃいけない。

現に、東京五輪で「天然雪に頼って涼しくしよう」なんてアホなことを考えてたら、未曾有の雪不足のせいで肝心の天然雪がないという。このまま雪不足が続けば、リカバリーは不可能。変なギャンブルに走るから…

遠回りに見えても、華がなくても、面白みを欠いても、結局のところ、確実性が高くて最後に笑えるのは正攻法なんである。それに、戦でもビジネスでも、奇策が破壊力を発揮するのは最初だけ。何度も同じことをやっていれば手の内を読まれる。

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